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「和歌」や「俳句」といった一昔前の詩歌は、現代の感覚で言うと、国民文化というよりは、せいぜい一部の有閑階級の間で流行った、一種の歌謡曲のようなものだったのではないのか Part 4

4、日本の教育だと詩歌の良さは、まるで国家の選んだものが一番良いというような刷り込みをされることが多いが、基本的に詩歌の良さは、現代の歌謡曲と同じで、それぞれの人が、自分自身の好みや趣味で自由に勝手に選んだり、決めたりすれば、それで十分である

 第四には、これも現代では、非常に誤解されていることの一つなのですが、詩歌の良し悪しというのは、どこかの偉い人が勝手に決めるのではなくて、基本的に、それぞれ人が、自分の好みや趣味で自由に勝手に決めたり、選んだりするべきものだということです。

 その点で、たくさんの生徒が自分で作った詩歌に対して、教師が一方的に評価を加え、点数を付けるというのは、本質的にかなり間違ったものなのではないか、というように私は率直に感じているのですが、実際、今日の社会でも、いろいろなアイドルやアーティスト達が、CDの売り上げや人気などで代わる代わる一番になることはあっても、結局、長い目で見ると、本当に多くの人々の心をつかんだ一種の名曲のような楽曲が、10年、20年経っても、いろいろな家で細々と、いつまでも聴かれ続けていったり、あるいは、カラオケなどで非常に情熱的に歌われ続けてゆくようなので、そうした目で見る限り、確かに一時的には、お金や会社の力で、そうした歌を流行らせることもできるのでしょうが、やはり長い目で見ると、本当に多くの人々の心をつかんだ良い歌だけが、いつまでも残り、聴かれ続け、また歌い継がれてゆくようなところがあるように私には思われるのです。

 こうした点から考えてみる限り、たとえ詩歌のようなものであったとしても、子供達が、自分から進んで選んだわけでない一段高い立場に立つ教師のような立場の人達が、あまりにも一方的に、その詩歌の良し悪しに関して、評価を下したり、優劣を付けたりするのは、私は、本当は非常に問題があるのではないか、というように感じています。

 

※ちなみに前に取り上げた小説やマンガの関係とほとんど同じような形でもって、そうした昔の「和歌」や「俳句」といった詩歌を詠んで大活躍したような人達の中には、現代の時代に生まれ変わって、やはり、そうした昔の和歌や俳句とほとんど同じような社会的な位置づけに当たる現代の歌謡曲の作詞や作曲であるとか、あるいは、テレビや映画の脚本の執筆などの仕事について、大成功しているような方も、洋の東西を問わず数多くいるようなのです。

 ですから私は、何も現代人から見ると、かなり難しい古語による理解でもって、そうした昔の和歌や俳句を勉強しなくても、現代であれば、はっきり言って、それらと作品的には、ほとんど同じようなクオリティーでもって、現代語で楽しく理解したり、感動したり、口ずさんだりできる現代の歌謡曲や、テレビや映画の鑑賞をすれば、そうした詩歌の理解としては、内容的には、それで十分なのではないか、というように率直に感じております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年6月27日 9:22 PM, コラム / 教育 / 社会、文化 / 芸術、美



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