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霊的世界では、外面的な姿形や動作ではなく、その人が、実際に考えていることや感じていることの方が、その人の本当の実体として認識されるようになる

 今回も、前回に引き続き、前に書いた文章からの抜粋になります(途中からで、分かりづらい方は、もう少し前の所から、お読みになることを勧めます)。

 

霊的世界では、外面的な姿形や動作ではなく、その人が、実際に考えていることや感じていることの方が、その人の本当の実体として認識されるようになる

 それは、一体、どのような感覚であるのかというと、たとえば、そこに一人の人物がいるとしても、これが、物質的な世界であると、せいぜい、「ピシっとしたスーツを着た、どこにでもいるようなビジネスマンである」、とか、「きれいな洋服を着た可愛い女性がいる」、というような認識しか持てないのですが、ところが、これが、四次元以上の霊的世界や高次元世界になると、それが、まるで変わった認識になってくるのです。

 それというのは、その人の顔つきや見かけの格好とは、基本的に、一切、関係なく、その人が感じたり、考えたりしている精神的な内容、つまり、実際の心のあり方によって、たとえば、「あの煤けて真っ黒な、いかにも何でもかんでも吸い込んでしまいそうな存在は、一体何なのだろう」(つまり、ノルマや目標に追われて、何でもかんでも、自分のものにしないと、気が済まないような精神状態の人のこと)、とか、「なんで街中を、冷たくて硬そうなマネキンが、あちこちカタコトと歩き回っているのだろう」(外面的な姿形や形式的な結果ばかりに心を奪われて、常に心を閉ざして、何かに追われて取り憑かれたような精神状態で生きている人のこと)、とか、あるいは、「なんで、あんなに汚い街中に、神々しく光り輝いた天使がいるのだろう」(世間では、あまり尊敬されないような仕事についているにも関わらず、心の中が、非常に純粋で、愛に満ちた精神状態でいる人のこと)、とか、「なぜ鬼のような存在が、天使のような存在に対して、偉そうに講義しているのだろう」(他の人々を一方的に縛り付け、一律の価値観で、ギュウギュウ詰めにしようとするような精神性を持った教師が、優しく純粋で、天真爛漫な精神性を持つ子供達の前で授業する様子のこと)、などという具合に、物質的な世界では、単なる見かけや動作だけで、十分、その人を理解したつもりになれるのですが、それが、そうした霊的世界、あるいは、高次元世界の認識になると、そうした見かけや動作だけでは、全く通用しなくなってゆき、それよりも、どちらかというと、その人が、普段、考えていることとか、感じたりしている内容の方が、その人自身の本質というか、その人の実体として認識されるようになる、ということなのです。

 このように、霊的世界や高次元世界においては、私達の住む物質世界のように、その人の外面的な見かけや行動だけでは、その人を認識することができず、それよりも、どちらかというと、その人が、そうした外面的な見かけや行動の内側で、「精神的に、一体、何を考えているのか」、とか、「心の中で、一体、何を感じているのか」、というような精神的な内容、つまり、その人の心の内面における感情や考えの方が、その人の真の実体として、感じられるようなところがある、ということなのです。  そうすると、私達の住んでいるような、この物質世界でこそ、たいていの人は、ほぼ同じようなカテゴリーに属する同じ人間である、というような分類が可能なのですが、これが、今述べているような、霊的、あるいは、宇宙的な観点からの認識に基づくと、この世界に存在する人々というのは、基本的に、全く異なる二つの精神的立場、あるいは、もっとはっきり言うと、全く異なる二つの心の風景を持っている人々の集団、もしくは、生物の集団に大きく分類されることになってしまう、ということであるのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年6月19日 9:06 PM, アセンション・シリーズ 4



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