さて、それでは、こうした観点に立った場合、政治家と、普通の一般大衆というのは、一体、どのような関係を築けばよいのか、というと、大体、以下の三つのことが、重要になってきます。
1、できれば、それぞれの地域の政治家を、単なる地域の企業経営者のように考えて、一定期間(四半期ぐらい)ごとに、その政治家の政治活動や実績を、細かくチェックして、有能な人には、そのまま継続して、やってもらうが、口先だけで無能な人には、即座の改善を迫るか、辞任してもらい、なるべく早く、もっと有能な人物に変わったもらうようにした方がよい
まず第一には、有権者とも呼ばれる、普通の一般の人々の立場としては、選挙の時だけ、投票所に行って、誰かの名前を書くなんて、政治活動をしているのは、最も最悪で、そうではなく、そうした選挙の時に選んだ政治家が、その後、一体、どのような政治的な実績をあげられたのか、ということを、一定期間ごとに、必ず、チェックする必要がある、ということです。
私が、推奨するのは、企業と同じように、一年を四つに区切って、四半期ごとに、自分の地域で選ばれた政治家が、一体、どのような政治活動を行い、一体、どの程度の政治的実績をあげたか、ということを、ある程度、習慣的に、しっかりとチェックするようにすることです。
3ヶ月というと、結構な時間があるので、はっきり言うと、最初の三ヶ月で、仕事のできる人か、そうでないか、ということは、かなりはっきりと明確に分かるので、もし、最初の三ヶ月で、何の実績も出せないような人は、地域のマスコミやコミュニティーが、しっかり監視して、チェックするようにして、大至急の改善を迫るか、あるいは、もし、それでも、あんまりダメな人の場合は、早急に、みんなで圧力をかけて、サッサと辞任してもらい、もっと有能な人に変えた方が良いのではないか、というように、私は、率直に考えております。
とにかく、この場合、最悪なのは、多くの人々が、選挙の時に、政治家を選んだら、もうそれっきりで、何年か経って、そうした選挙のことなんて、もうすっかり忘れた頃に、その人が、何をしていたのか、ということすら、よく分からないような状況で、投票に行くような、完全に惰性的な政治習慣を持ってしまうことなのですが、多くの人々が、こうした政治習慣を身につけてしまった場合には、多分、どんなに立派な先進国でも、いつまで経っても、政治的には、二流、三流、傍流のような国際的扱いに置かれるような状況になってしまうのではないか、というように、私は考えております。
Cecye(セスィエ)
2011年5月22日 5:22 PM, 政治