2、現在の地球の多くの宗教は、そうした宗教における元々の開祖の生い立ちや教えや業績を、意図的に全く別の話にすり替えることによって、多くの人々を、霊的にも、この世的にも、常に無知で無力な状態に陥れて、その時々の宗教や政治の支配者の言う通りに、何でも従うように飼いならすための一種の洗脳教育の手段になっていた
第二には、これは、高次元世界と呼ばれる世界では、本当に、非常に評判が悪い内容であるのですが、とにもかくにも、現在の地球の宗教においては、そうした高次元世界に存在している霊的なマスターのような存在の権威や名前を利用して、いろいろな商売や、たくさんの人々の囲い込みをやるような組織が多くて、本当に彼らは、辟易(へきえき)としているようなところがある、ということなのです。
これは、少し分かりづらいと思うので、もう少し分かりやすい喩えを用いて,説明し直したいと思うのですが、例えば、ここに、あるものすごい立派で知恵深く、愛情溢れる偉大な聖者のような存在がいたとして、その人の生まれや生い立ちや、それから、伝えようとした教えや業績などを、普通の人々(後世の人々と言ってもよいのですが)には、全く、よく分からないような形で、不都合なところは隠したり、話を、うまく作り直したりしながら、いろいろ切り貼りして、編集してゆき、全く別の宗教話に作り替えたとします。
そして、その際に、次のような四つのような話に作り替えられてしまったとしたら、一体、どうなってしまうのか、ということが、ここで述べたい内容なのです。
1、たとえ、どんなに立派で偉大な聖人のような人であるとしても、実際には、普通の人と、ほとんど大差ない苦痛や悲しみを感じるものなので、そうした聖者の普通の人間性の部分を、完全に削除した話に作り替えられてしまうと、途端に、そうした聖者が、普通の人間とは、全く違ったスーパーヒーローのような特別な人物として、多くの人々に誤解されるようになってゆく
まず第一には、その聖者の生い立ちや仕事の大変さとか、苦痛や悲しみの話は、極力、削除して、その反対に、その聖者の偉大な生まれや業績であるとか、愛情の深さや、献身的な行為の部分のみを誇張した話に作り替えてしまうと、そうすると、その途端に、その聖者というのは、「私達と同じような人間として、時に悲しみ、時に傷つきながらも、一生懸命、神のため、多くの人々のために尽力して、一生を終えた」、というような話から、コロッと変わって、「普通の人間とは、全く違う、生まれながらのスーパーマンやウルトラマンのような超人的存在なのだ」、とか、「彼は、いかなる痛みも困難も、敢然と乗り越えてゆくようなスーパーヒーローのような存在なのだ」、というような見方に、完全に変わってしまうことになるのです。
ただ、これは、現在のようにマスコミやインターネットの発達した時代に生きている、みなさんであれば、ある程度、分かるのではないか、と私は思うのですが、実際には、どんなに、ものすごく強く、愛情の深いスーパーヒーローや聖人のような人物であったとしても、怪我をしたり、病気になったりすれば、普通の人と同じように、苦しんだり、困ったりするし、また、普通、ずっと一本調子に成功し続けられるような人なんて、めったにいないので、長い人生の中では、時々、不調になったり、失敗続きのどん底生活を余儀なくされたりすることもあれば、それから、本人の考えとは、全く違う、噂や評判で、大変なストレスやプレッシャーを感じていたりすることすらある、などというように、そうした人々の実際の様子というのは、はっきり言うと、ちょっと普通の人よりも、優秀で、目立つような仕事や生活をしているだけで、実際には、普通の人の肉体的、あるいは、精神的な感覚と、それほど大きな違いというものを感じていないことの方が、遥かに多い、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年5月14日 9:33 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観