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現在の地球の主だった宗教は、創造主や光の存在達の権威を利用して、多くの人々を縛り、操るための単なる支配の道具になっている Part 3

2、その聖者の日頃の行いを除いて、偉大な業績だけが、誇張されて伝えられるようになると、多くの人々は、自分自身の知恵の獲得もなければ、努力もなし、というような自暴自棄で堕落した宗教形態に陥りがちである

 第二には、これも、地球の宗教だと、本当によくある話であるのですが、そうした偉大な聖者の日頃の様子から、喩えて言うと、医者の具体的な治療法についての説明をすべて除いて、そうした治療の結果だけ、大々的に強調して、説明したような話に作り替えてしまうと、一体、どういうことになるのか、ということを考えてみると、これは、分かりやすいのですが、そうすると、そうした医者の具体的な治療法についての説明が、わりと詳しくオープンに伝えてあった場合には、多くの人々は、「それなら、自分でも、努力すれば、それが出来るようになるかもしれない」、とか、「その治療法だと、このケースの場合は、治るかもしれないけれど、この別のケースの場合は、ダメだな」、などという具合に、わりと冷静に理解することができるのですが、そうではなく、もし、その治療の結果だけを、大々的に強調したような説明を聞いた場合には、「それでは、私達は、その人に、おすがりするしか、助かる道はないのですね」、とか、「その人の超能力を使えば、きっと、どんな病でも助かるに違いない」、などというような錯覚を持つようになりがちである、ということなのです。

 ここで、この話を、もう一度、宗教的な話に置き換え直してみると、その聖者が、普段、一体、どのような方法で、いろいろなことをしていたのか、ということが、ある程度、はっきり分かるように伝わっている場合には、「それなら、自分で出来ることは、できるだけ自分の努力でやってみよう」、とか、「自分も、努力さえすれば、ある程度、そういうことができるのだな」、とか、「そうすると、これに関しては、この知恵は使えるけれども、別のこれに関しては、別のやり方でないと、全然、ダメだろうな」、などというように、わりと冷静に理解することができるのですが、ところが、そうした聖者の知恵が、全くよく分からないような形で、その聖者の業績だけが、異常に誇張されて、伝えられてきたような場合においては、「それでは、あの偉大な聖者に、お願いだけすれば、誰でも助けてもらえるのだな」、とか、「とにかく、あの偉大な聖者のことを、熱心に信奉し続けるようにすれば、自分達は、絶対、救われるのだな」、などというように、言ってみれば、自分達の知恵の獲得もなければ、努力もなし、などというような、かなり他人任せの自暴自棄な信仰形態に、わりと簡単に陥ることになってしまいがちであった、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年5月15日 9:33 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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