④政治の世界というのは、その国で、最も簡単に大金が集まる超ビッグビジネスであるので、多くの人々が、そうした政治の世界に、あまりに無関心であると、いつの間にか、一部の特権階級のような人々に、その中のおいしい甘い汁を根こそぎ横領されるような大変な事態になることがあるので、注意が必要である
第四には、これも、非常に問題が多い内容になるのですが、現在の教育体制であると、学校にいる間は、ほとんど学校や教師の言いなりで、自分の国の政治のことなんて、ほとんど考えたことがなく、それから、社会に出て、働き出すと、もう毎日の仕事や生活で忙しくて、やっぱり自分の国の政治のことなんて、全く考える暇がなく、そして、やっと、定年を迎えて、ある程度、まとまった暇な時間が出来るようになると、今度は、別の仕事や趣味だとか、別のことで忙しくなってゆき、やっぱり自分の国の政治のことなんて、考える暇がない、などというように、その人の人生の最初の十数年の間に、民主主義国の市民として、しっかり持つべき政治的な教養や考え方のようなものをマスターし損ねてしまうと、はっきり言って、そうした人というのは、ほぼ一生、よほどの特別な機会でも持たない限りは、「政治は、どこかの偉い人か、暇な人が、勝手にやることで、自分達は、選挙の時だけ、投票すればいい」、とか、あるいは、「誰が、政治をやっても、結局、ほとんど一緒だから、投票に行くよりは、棄権して、自分の好きなことをやっていた方が、よっぽどいい」、などというような政治の見方、というか、人生観を持つようになってしまいがちである、ということなのです。
ところが、本当は、これは、民主主義国の市民としては、最も大きな間違いなのであって、それというのは、実は、政治というのは、そうした多くの人々の単純素朴な考え方とは、全く違って、もし、そのようにして、政治的に、ほぼ無関心、無理解の人々が、大多数を占めるような国家において、ごくごく少数の人々が、多くの人々には、ほとんど、よく分からないような形で、その国の政治を実質的に牛耳ることに成功した場合には、そうした少数の人々というのは、普通の大多数の人々が、一生かかっても、絶対に手に入れられないような、ものすごい富や財産や特権を、ほとんど大した努力をすることもなく、合法的に手に入れることすら可能になるような、はっきり言うと、非常にボロい商売のような要素が、こうした政治の世界には、現実にある、ということなのです。
この典型的な例が、よく「賄賂」や「天下り」などと言われている内容になるのですが、こんなものは、たいてい、氷山の一角に過ぎないのであって、これは、政治の鉄則と言ってもよい内容になるのですが、普通、多くの人々が、政治のことを、一知らなければ、そうした多くの人々の無知につけ込んで、どこかで、必ず、ほぼ不労所得で、千儲ける人がおり、また、多くの人々が、政治のことを、千知らなければ、それによって、どこかで、必ず、ほぼ不老所得で、百万儲ける人がいる、というのが、昔から政治の裏世界の鉄則のようになっている内容であった、ということなのです。
これは、いっけん、難しい政治の世界の話ではなく、私達の生活に非常に身近な経済の話に置き換えると、わりと簡単に理解できるような話なのではないか、と私は思うのですが、例えば、ここにうまい儲け話があったとして、そこにいる100人の組合員の人から、毎年、10万円のお金を、定期的に集めることが可能になったとすると、多分、これだけで、利にさとい人であると、「年間、1000万円、定期的に、ずっと、10年集め続ければ、1億円、さらに、それを運用して、うまく儲ければ、○億円の儲けになるかもしれない・・・」、などという具合に、そうした多くの人々のお金の集金と運用によって、どれくらい大きなビジネスになるか、とか、どれくらい大きな儲けになるか、ということは、多分、すぐに、ポンポンと連想されてゆくことになるのではないか、と私は思うのです。
おそらく、現代のような経済社会であると、こうしたお金儲けの話であれば、結構、多くの人々が、自分にとって、非常に身近な商売の話として、すぐに理解できるのではないか、と思われるのですが、ところが、よく考えてみると、こうしたお金儲けの超巨大版であり、なおかつ、一体、どこに、その総合責任者でいるのか、ということすら、何だか、よく分からないような超巨大なビッグビジネスが、私達の身近なところに存在している、ということであるのですが、それが、いわゆる、毎日のように、ニュースで見ている、私達の政府そのものである、ということなのです。
つまり、私達が、毎日のようにニュースで見ている政府というのは、簡単に喩えて言うと、単純計算して、そこで、1千万人の人が、毎年、10万円ずつ税金を払っていれば、毎年、1兆円の大金が、定期的に集まることになり、また、1億人の人が、毎年、10万円ずつ税金を払っていれば、毎年、10兆円のお金が、定期的に集まってくる、というような、言ってみれば、半自動大集金マシーンのような、ものすごい超営利企業、もしくは、ものすごい超ビッグビジネスになりうるような、とてつもない要素を持っているにも関わらず、なぜか、こうした、その国で、最も経済的に価値のある、あるいは、その国で、最もお金儲けの機会がある国家の経営に関して、多くの人々が、あまりにも無関心になっている、という点において、現代の社会というのは、よく考えてみると、本当は、かなり異常な状況になっている、ということなのです。
そうすると、そうした社会においては、多くの人々の無知と無関心につけ込んで、一部の内部事情に精通した連中が、その中から、おいしい甘い汁を根こそぎ吸い取ってしまうような大変な事態に、恒常的に陥る可能性がある、ということと、それから、もし、そうした状況が、ずっと続いている場合には、本当は、多くの人々が、いつの間にか、そうした状況に、恒常的に陥るように、裏で、汚い画策事をした人間がいる可能性がある、というような疑いが、ここで持ち上がってくるのですが、実際、現代の社会においては、日本だけでなく、他の多くの国々においても、これとほとんど同じような状況になるように、かなり汚い陰謀が張り巡らされていた、ということなのです。
多くの人々の単純な思い込みとは、かなり違って、現代の多くの国々では、いまだに民主主義国の市民にふさわしい市民教育が、しっかり行われていないことが多いので、その結果、どこの国も、実質的には、一部の特権階級のような人々の、彼らによる、彼らのための政治が行われるような状況になっていることが、非常に多い
このように、多くの人々の単純な思い込みとは、かなり違って、現代の多くの国々においては、一応、政治的には、民主主義の体裁にはなっているにも関わらず、実際には、そうした民主主義国の市民の考え方とは、ほど遠い、はっきり言うと、一昔前の王制の時代と、さして変わりないような愚民化教育が行われているような実態があるので、当然、そうした愚民化教育の実態を反映して、どこの国であっても、いつの間にか、多くの人々の信頼や思い込みとは、完全に裏腹に、昔からの王族や貴族の子孫のような、一部の特権階級のような人々によって、そこの国の政治の世界が、裏から、ほぼ完全に牛耳られるような状況になっていることが、実際には、非常に多い、ということなのです。
Cecye(セスィエ)