最近は、この辺りでも、時々停電したりして、だんだん、いつまで定期的にアップし続けられるか、少し不安になってきたので、私が、七年前に書いた最初の文章の最初の一節を、ほんの少しだけ修正して、そのまま、ここで発表することにしておきます。
(少しわかりづらいところがあるかもしれないのですが、それは後ほど、また書き足したいと思います。参考)。
宇宙の光の創造主と一つになるための祈り(原題「光の創造主」)
限りなく心を無私にして、この大宇宙を創られた偉大な光の存在の前に謙虚となり、そして、すべてを捧げて、その偉大な光を、自らの魂の内に受け入れます。
その時、自らの存在が、限りなく透明で繊細で、そして、精妙な愛のエネルギーそのものであることが、しみじみと実感されてきます。
これが偉大な光の存在と、自ら自身が一つとなるための光の祈りです。
この大宇宙を創られた、唯一にして、至高の偉大な光の存在と、自分自身を一体にして、一つとなる、究極の光の祈りの体験のことです。
この時、少しの私心も、少しの他人を責め裁く心も、少しの荒い怒りや復讐心や憎しみ、嫉妬や不平不満も、また、少しの欲望や恐怖心、傲慢な心や偏見や甘え、迷いや苦しみも、そして、少しの自分を貶める失望や絶望も、自己不信や劣等感も、そして、偽りや悲しみも一切の心の苦悩も捨てて、この大宇宙を創られた偉大な光の存在の前に、ひたすら無私となり、透明となり、謙虚になって、すべてを捧げて、その偉大な光と一つとならなければなりません。
これが、すべての出発点となる偉大な光の存在と、私たち自身が一体となり、一つとなる、偉大な光との合一の祈りです。
この大宇宙を創られた偉大な光の存在の名前や個性は、地上には、宗教や教典により、数限りなくありますが、ここでは、そうした宗教や教典に限られることなく、この大宇宙のすべてを統べ、無限の慈悲と叡智、そして、愛によって、すべてを導く、至高にして、唯一の、そして、この大宇宙の根源の光の存在のことを、「光の創造主」と呼んでいます。
地上のすべての宗教や教典、そして、人類の永い歴史を通して顕われた無限の神秘と憧憬、「愛」、「光」、「力」、「叡智」、「美」、「徳」、そして、「慈悲」の存在のことです。
Cecye(セスィエ)
2011年3月16日 10:00 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳