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現在の試験制度は、政治的に見る限り、独裁政治と非常によく似た運営形態になっている Part 2

もし、試験の運営団体が、利権まみれの密室のような所になると、次には、学校制度が、非常に硬直化すると共に、だんだん、非常に巧妙な形の隠れ世襲制のような地位や仕事が増えるようになってゆく

 つまり、実は、現在の試験体制というのは、民主主義国の中に、ポッカリと開いた、どこの誰からも、全く、何の批判も文句も言われないような、究極の密室政治や、究極の利権や特権が満喫できるような、最高の隠れ場所になる可能性がある、ということを、これは、意味しているのですが、この後が、さらに悪くて、もし、いっけん、普通の一般大衆が、政治を完全にコントロールしているはずの民主主義国の中に、こうした、ほとんど普通の人々の目も届かないような、ある意味で、完全な利権まみれの密室のような場所ができるようになった場合には、こうした利権を牛耳った人々というのは、ほぼ確実に、次のような二つのことを始めるようになるはずである、ということです。

 それは、どんなことなのか、というと、まず第一には、こうした試験体制というものを、より完全に、がっちりとした、揺るぎのないものにしてゆくために、学校制度を、非常に頭の硬い、融通の効かないような、知識偏重や規則重視のものにしてゆこうとするはずである、ということです。

 第二には、これは、普通、外部の人間からは、ほとんど調べることが、不可能なように、大変、巧妙な方法で行われることが、非常に多いのですが、そうした試験運営を行っている団体や、その監督する役所の中で、外部の人々からは、まずは、全くよく分からないような不正な方法で、一つには、その秘密を守るためということと、もう一つは、その利権を、より大きくしてゆくために、そうした仕事に就いている人々の子供を、また、そうした仕事に、うまく試験を通させたり、コネを使って、就かせるような、一種の隠れ世襲制のような仕事にしてゆくことが多い、ということです。

 このように、現代のような民主主義国であったとしても、かなり気をつけておかないと、多くの人々が、そうした試験の権威というものを、あまりにも深く信じ込みすぎていると、思わぬところに、一種の利権がらみの密室政治のようなものが出来てくる可能性がある、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2010年12月8日 9:22 PM, 教育



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