「中道」というと、仏教で説かれた中道説というのが非常に有名ですが、これは仏教とは全然関係のない、私自身の単なる仮説になるのですが、もし釈迦が現代の時代に生きていたとしたら、多分、こんなことも説いていたのではないか、と思われるような中道の内容として、ここでは一つ、「信不信の中道」というものを取り上げたいと思います。
1、物事というのは、信じ過ぎてもいけないし、また、その反対に疑い過ぎてもいけない
「信不信の中道」というのは、物事というのは、何も考えずに何でもかんでも強く信じ込み過ぎるようでもいけないし、また、かといって、その反対に何もかも疑心暗鬼になって、深く疑い過ぎるようであってもいけない、というような中道的な考え方のことです。
一般に宗教では、「強い信仰心が重要だ」ということで多くの信者に、とにもかくにも何も考えずに一切疑いを持たせないような運営をすることが、非常に多いのですが(決して、すべての宗教とは言いませんが)、ところが実際には、そうした宗教に限って、その宗教の教祖や組織の裏側に結構問題を多く抱えていることが多かったり、あるいは、その反対に、これは人生全般すべてに言えることなのかもしれませんが、人でも物でも何に対しても疑心暗鬼な態度でもって、疑い深く接するような生き方をしていると、今度は、いろいろな成功や幸福の機会をどんどんなくしてしまうことになって、あまり幸福な生き方ができなくなってくるということです。
このように人間の人生においては、信じ過ぎてもいけないし、また、その反対に疑い過ぎてもいけない、というような適度な加減が、すごく重要になってくるのです。
ところが、実際の私達の人生では、本当は信じ過ぎてはいけないようなものほど、なぜか無意識のうちに「絶対に当たり前だ」と思って、全く疑わないような態度を取り続けようとすることが非常に多かったり、あるいは、その反対に「これをもう少し信じるような生き方をすれば、もっと幸福で楽しい生活ができるのに」というようなものほど、なぜか無意識のうちに「こんなもの絶対に怪しいから信じられない」などというように自分の先入観だけで、ほとんど何の知識もないのに、一方的にきっぱりと否定するような態度に出てしまうことが非常に多いのです。
それゆえ私たちは、自分が無前提のうちに、「これは絶対に正しいことだ」と深く信じ込んでいることや、あるいは、その反対に「これは絶対にダメだ」と深く決めつけているようなものほど、時々、第三者的な立場に立って、もう少し客観的な知識や情報を集めて、再度考え直してみるとか、場合によっては、そうした立場と全く正反対の意見や考え方に謙虚に耳を澄ましてみることが、非常に重要になってくるのではないか、ということです。
2、自分自身に対する見方としても、過度に自信を持ち過ぎてもいけないし、また、その反対に過度に自分を否定的に見過ぎてもいけない
また、こうした「信不信の中道」というのは、「自信過剰」や「自信喪失」の立場、つまり自分を強く信じ過ぎることや、あるいは、その反対の自分をあまりに否定的に考え過ぎるような立場、つまり自己過信や自信のなさに関しても、ほとんど同じように言うことができます。
つまり自分自身を、あまりに強く信じ過ぎてもいけないし、また、その反対に自分を、あまりにダメだと考え過ぎてもいけない、というような中道の立場が非常に重要になってくるのですが、この場合は、いずれのケースにしても自分自身の考えや思い込みにあまり深く執着せずに、時々、自分自身に対する他の人々の意見や評価を率直に聞き直したり、冷静に思い返したりしながら、あまり高過ぎもせず、かといって、あまり低過ぎもせずという程度の、できるだけ客観的で冷静な自己評価を持つことが、非常に重要になってくるのではないか、ということです。
3、他の人々に対する見方としても、他の人を信じ過ぎてもいけないし、また、その反対に疑い過ぎてもいけない
それから自分の周りの人々に対する見方としても、自分が、いくらその人に対して、強い好意や愛情を寄せていたり、また、その人のやる気や能力を認めていたとしても、やはり、それぞれの人間には得意不得意があったり、コンディションの上がり下がりがあったり、あるいは、運不運があったりするものなので、あまりに強く信じ過ぎて、相手に過度の期待をかけていたりすると、後で思わぬ失敗やトラブルに巻き込まれたりすることもあるし、また、その反対に自分としては、全く好意も愛情も感じていなかったり、やる気も能力も全く認めていないような人間が、意外と自分に対して、強い好意や愛情を寄せていることがあったり、あるいは、思わぬ働きぶりや実績を見せて、見直させるようなことが、人生には意外と多かったりするなどというように、やはり自分の周りの他の人々に対しても、過度に信じ過ぎてもいけないし、また、その反対に、あまりに一方的に疑い過ぎてもいけないようなところがあるのです。
それゆえ他の人々に対しても、適度な信頼の加減でもって、コミュニケーションをとったり、いろいろな役割や仕事を頼んだりするような人間関係のバランス感覚というのが、非常に重要になってくるのではないか、ということです。
このように世間の物事に対しても、また自分自身や他の人々との信頼関係、つまり人間自身に対しても、あまり強く信じ過ぎてもいけないし、かといって、あまり深く疑い過ぎるようでもいけない、というような「信じること」と「信じないこと」、あるいは、「信じること」と「疑うこと」のバランス感覚、つまり「信不信の中道」の立場というのは、私たちが、人生をより幸福に生きてゆくために、とてもユニークで面白い見方を提供することになるのではないか、ということです。
追伸
これは少し心の持ち方のような内容に当たるので、念のために書いておきますが、このブログのポリシー上、こうした精神的な指針に当たるような内容は、それぞれの人が楽しいと感じたり、役に立つと感じた内容だけ、自分の好きなように読めばいい、と私は考えているので、それゆえ誰に対しても一切強制するような内容ではないことを、ここでは、あらためて付け加えておきます。
Cecye(セスィエ)
2010年8月13日 9:31 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 仏教 / 知恵、正しさ