※要するに社会主義系の国々では、言論や報道の自由が大きく縛られすぎていて、本当は多くの人々が知っておいても良さそうなことが全く知らされていなかったり、政治家の権威が多少持ち上げられすぎているようなところが問題になっているのではないか、と思われるのですが、それでは民主主義の国々はどうなのか、というと、今度は逆に言論や報道の自由が多少行きすぎていて、昨今のフェイクニュースなどのように、はっきり言ってしまうと別に多くの人々が全く知る必要もないようなセンセーショナルな情報が、あまりにも大きく伝えられすぎていたり、また政治家を始めとするような有名人をひどく中傷したり、まるで完全な馬鹿者や悪者扱いするような情報が多少多くなりすぎているようなところが問題になっているのではないか、ということなのです。
※そうすると社会主義系の国々では、できるものに関しては、もう少し情報をオープンにしてゆくことが大切になるのでしょうが、逆に民主主義の国々では、最近はテレビや新聞ばかりでなく、コンピューターや携帯電話のインターネットなども通して、本当に際限なく、たくさんの情報を見聞きしなくてはならないような時代になってきているので、それゆえ、あまりにも自分の感情を大きく逆立てるようなニュースは、あえて時間や機会を絞って見聞きするようにしたり、また情報の内容によっては、少し時間をとって、自分なりになるべく正しい情報をしっかり調べて、何か見聞きするたびに大きく一喜一憂しなくても済むように学び直すような習慣を持つことが、とても大事になってくるのではないか、というように思われます。
Cecye(セスィエ)
2024年7月20日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 健康、医療 / 政治 / 教育 / 瞑想 / 知恵、正しさ / 社会、文化