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国会(立法府)の議員への政治的な評価と、行政府の首相や大臣などへの政治的な評価の違いについて Part 2

 もう少しわかりやすく説明すると例えば、これが大統領制の国の場合には、大統領や知事といった行政の仕事に就いている人々への政治的な評価と、議会の議員の人々への政治的な評価は、それなりにきっちりと分けて、考えられるようなところがあるのですが、しかし、それが現在の日本のような議員内閣制の国の場合には、国会の議員の人々への政治的な評価と、首相や大臣などといった様々な省庁の行政に関わっている人々への政治的な評価が、常に直接関係あるものもないものも、すぐにごちゃ混ぜになって、なんだか全部良かったり、悪かったりするようなイメージになってゆきやすいようなところがあるのです(首相や大臣といった行政府の主な顔ぶれと、議員の主な顔ぶれが同じであることが多いので、仕方がないようなところもありますが・・・)。

 もう少し具体的に言うと、現在、多くの人々のイメージとしては、野党の政治家の方が正しくて、自民党の政治家はみんなダメなイメージになってしまっていることが多いと思うのですが、例えば、「今回のような裏金騒動にはいっさい関わらずに、一大臣としての政治家の仕事をきっちりやって、成果を上げ続けていた人は、それなりにきっちりと評価すべきなのではないか」というような視点や、「確かに一見、与党の議員であっても、野党の議員であっても、みんな同じ立場の議員に見えるかもしれないが、実際に毎日、行政の仕事に直接関わっている与党の議員が置かれている立場と、そうではなく行政の仕事にはほとんど関らずに、主に議会での討論の優劣に徹していればよい野党の議員が置かれている立場を、本当に何でもかんでも同じように扱ってよいのか」というような視点で考え直してみることも、とても大事なことなのではないか、ということです。

 ですので何度も述べますが、現在の日本のような政治情勢の場合、大多数の国民が納得できるような、政治家としての反省やけじめや政治改革のようなものを行うことは、とても大事だとは思うのですが、しかし政治家への評価としては、派閥や議員の不当な会計処理の問題と、首相や大臣などとして関わった様々な省庁での行政府の運営手腕とでは、わりときっちり分けて、政治的な評価をするようにしておかないと、今後も、いろいろな問題が起き続けてゆくようになるのではないか、というように私は考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2024年6月29日 9:04 PM, 人生観、世界観 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済



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