そうすると、おそらく世界中のどの国の議会の議員や、大統領や知事や市長などといった行政府の政治家の人々であったとしても、まるで当たり前のように政治的な理想や目的や考え方などが、わりと似通った人々が何となく集まってきて、お互いに学び合ったり、励まし合ったり、助け合ったりしながら、そうした人々が強く共鳴している様々な理想や目的を実現してゆこうとすることが多いのではないか、と思われます。
そうした際に「ああ、あの人は、長く政治家をやっていて、人格も政治手腕も非常に素晴らしいと聞いているので、ぜひ、いろいろ教えてもらいたい」「この政党の基本的な考え方には、自分も賛成しているのだけれども、自分はあの力のある政治家をとても尊敬しているので、ぜひ、あの人の所で政治の世界について、もっと学んで、できるだけ実力のある政治家になって、地元や国のためにしっかり働きたい」「なんとか当選して議員になれたのだが、議会や議員の仕事に関しては、まだまだ知らないことが多すぎるので、誰かベテランの人について、いろいろ教えてもらいたい」、また「議会で法案を通すには、どうしてもある程度の人数の議員の賛同が必要なので、自分も有力な政治家がいる政治家のグループに所属して、政治家としての実績を一つ一つ、しっかりと積み重ねてゆきたい」「この難しい社会問題については、政治家一人の力ではどうにもならないので、できるだけ多くの同じような問題意識を持っている政治家の人々と手を結んで、できるだけ早く、うまく最善の解決の道を模索してゆきたい」、さらには「この重要な問題を解決するために自分は政治家になったのに、他の政治家の人々は、この問題の重要性をあまりよく理解してくれていないようなので、自分としては、自分が最も共鳴する政治家のグループに加わって、この問題の重要性をしっかり理解してもらえるように頑張りたい」などというような形で、ある程度の人数の政治家の人々が集まっている政治グループや派閥のようなものに参加しようとするのは、わりとごくごく当然の人間の立ち居振る舞いになるのではないか、ということなのです。
Cecye(セスィエ)