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第二次世界大戦当時のソ連とスターリンについて Part 3

3、当時のナチス・ドイツが、ヨーロッパ全土に軍事侵攻できたのは、当時のソ連と準軍事同盟を結んでいたからである

 ここでもう一度、第二次世界大戦の始まりから、その後、世界規模の大戦争に大きく拡大していった経緯を振り返ってみたいと思います。

 現在、まるで当時のソ連は、最初から最後まで連合国の一員として、当時のナチス・ドイツや大日本帝国やイタリアなどの枢軸国と戦い、勝利したかのように見えるような印象もあるのですが、ところが、こうした経緯を冷静に見直してみる限り、実際には、当時のナチス・ドイツが、ポーランドやヨーロッパの国々に大きく軍事侵攻できたのは、ほぼ間違いなく、当時のソ連が、ナチス・ドイツと準同盟関係を築いて、ほぼ同じように当時のヨーロッパの国々に軍事侵攻していたからではないか、ということです。

 はっきり言って、いくら当時のナチス・ドイツが、大きな軍事力を持つようになっていたとしても、当時のソ連が、当時のナチス・ドイツと準同盟関係を結ばずに、イギリス、フランスの側について、ナチス・ドイツの勢力拡大を強く牽制するとか、あるいは、当時のソ連が、「ドイツ軍がポーランドに侵攻した場合には、その後、ソ連に侵攻してくる可能性もあるので、断固とした軍事的な措置をとる」などというように、あらかじめ、はっきり表明していた場合には、おそらく当時のナチス・ドイツであっても、ポーランドを初めとするようなヨーロッパの国々に次々と軍事侵攻することは、ほぼなかったのではないか、というように思われます。

 ただ当時のソ連は、世界中の国々に政治的、軍事的に干渉して、共産主義政権を、できるだけ、たくさん樹立したいというような国策を持っていたので、元々は当時のナチス・ドイツとも対立していたし、また当時のイギリスやフランスからも、どちらかと言えば、当時のナチス・ドイツと同じように敵視されるような状況になっていたようです。

※1936年には、当時の日本とドイツとイタリアは、当時のソ連の共産主義に対抗するために「日独伊防共協定」を結んでいたのですが、その後、1939年には、突如、当時の複雑な国際関係のもとで、当時のナチス・ドイツとソ連が、独ソ不可侵条約を結びました。

※1941年に当時のドイツが、ソ連に軍事侵攻する前までは、当時の「日独伊三国同盟」にソ連が加わるような検討と話し合いが、当時のソ連も含めた各国で行われていたようです。

※ただし当時のソ連とポーランドの間で、1920年に戦争が起きているので、当時は、それほど友好な関係になっているわけではなかったようです。

 しかし、ここではっきりさせておきたいことは、要するに第二次世界大戦の初めの頃のソ連は、当時のナチス・ドイツとほぼ準同盟関係を築いて、当時のポーランドに軍事侵攻したのみならず、その後の占領下のポーランドでは、当時のドイツ軍と対峙するわけでもなく、当時のナチス・ドイツとほぼ同じようにたくさんの兵士や市民を虐殺したり、強制収容所に送ったりして、乱暴狼藉を働いていたということです。

※当時のソ連は、当時のバルト三国に対しても、軍事的な恫喝によって、ほぼ同じような非人道的な占領や粛清を行っていました。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2022年6月29日 12:06 PM, 政治 / 歴史 / 軍事



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