少しお休みしましたが、続きの文章を載せてゆきたいと思います。
7、知的な向上と霊的な悟りの関係について
それから七つめは、ここでは、知的な向上や、霊的な悟りを得たいと思った、そもそもの目的と、その結果について、考えてみたいと思うのですが、これについては、だいたい次のようなことが言えます。
まずは、人間が知的な向上を求める、そもそもの目的について考えてみたいと思うのですが、「親や偉い先生に言われたから」とか、「義務教育の制度によって、国の決まりで無理やり勉強しなくてはならなくなったから」などというようなことを除けば、たいてい、「まだ自分が知らないことが知りたい」とか、「まだ自分ができないことを、できるようにしたい」とか、「自分は、本を読むのが好きだから」とか、「自分は、何らかの分野のことを調べたり、研究したりすることに純粋に喜びを感じるから」とか、「いろいろな理由で、何らかの専門的な知識や技能を身につけないといけなくなったから」などというように、わりと素朴な好奇心や強い衝動や、個人的な満足や楽しみや達成感や、あるいは、何らかの義務や差し迫った必要性などから、そうした知的な向上を求めようとすることが多いのではないか、と思われます。
ただ、そうした人の中には、「こういうことができると、もっとお金が稼げるらしい」とか、「これを知らなかったために自分は大失敗して、大損してしまったので、今度はもっと勉強して、うまくいくようにしたい」とか、「もっと勉強して、成功したい」などというように様々な利益の獲得や、強い向上心のために知的な向上を求めるような人もいれば、また、「こういう知識や技能を身につけて、たくさんの人々の役に立ちたい」とか、「今の世界にはないような新しいアイデアを実現して、もっとより良い世界にできるように貢献したい」などというように、様々な社会貢献や自己実現的な目的のために知的な向上を求める人もいれば、あるいは逆に、「こういうテクニックを使えば、密かに人を陥れて、お金を奪えるのではないか」とか、「もっと頭を使って、よく考えれば、うまく犯罪ができるのではないか」などというように、様々な合法的な搾取や犯罪などのために知的な向上を求めるような人がいることもあるようなので、はっきり言って、この世的に知的な向上を果たした人が、みんながみんな、清廉潔白な人格者のような人物であるとは、とてもではないが、なかなか言えないようなところがあるわけです。
Cecye(セスィエ)
2021年9月18日 9:07 PM, おすすめ記事 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー