二つめは、これは、あまりはっきり言うと、少し残念な気持ちになってしまうような人も多いかもしれないのですが、これまでの地球の歴史では、私の文章では、何度も触れてきているような、いわゆるタイムテロによる歴史操作によって、そうした聖者の名前や権威だけは、しっかり悪用されていることも多いのですが、そうした聖人の元々の教えに関しては、ほぼ完全に消し去られて、全く違うものにすり替えられてしまっていることも、結構多かったようなのです。
それと先ほど述べたような、その時々の権力者の人々との対立の問題もあったので、はっきり言うと、そうした教えに基づいて、いくら熱心に修行したにも関わらず、実際には、なかなか本当の悟りや救いが得られずに大きな挫折を味わうことになったり、また、そうした教えを非常に熱心に信奉して、学んだり、修行した人であればあるほど、そうした宗教の奥にある不正や堕落に気付いて、別に道に進もうとすることも、結構多かったようなのです。
ところが、そうすると、たいてい、そうした人々の方が、堕落した落伍者のように扱われたり、また、特に昔であると、その時々の権力者の都合で、そうした本物の悟りや救いを求めるような人々は、かなり厳しい弾圧や迫害に遭うような状況になることも、結構多かったようです。
その後、近現代に入り、市民革命や自由権の拡大などによって、多くの人々が、政治的な力をつけるようになってゆくと、そうした権力者の弾圧や迫害も、だんだん少なくなってゆくようになると共に、やがて世界中で多くの新宗教やスピリチュアリズムのような運動が盛んになってきたようなところもあるのですが、残念ながら、これもすべてがすべて正しいとは、なかなか言い切れないようなところもあるので、多少注意が必要なところもあるようです。
このように霊的な修行の結果、単に個人としての素晴らしい悟りを得るだけでなく、さらには多くの人々を助け、救い導くような尊い教えを発見し、そうした霊的な教えを説いてゆくような、かなり高度な悟りのあり方もあるということが言えるでしょう。
Cecye(セスィエ)
2021年5月20日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 仏教 / 宗教、道徳 / 時間と空間の秘密 / 知恵、正しさ