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仏教的な「解脱」の悟りについて Part 2

古代インドにおいて、かなり真剣に求められた転輪聖王や仏陀の登場について

 単純に言って、大多数の人々が、平和に豊かに幸せに暮らしている社会であれば(霊的にも、わりとすっきりした澄んだ状態になっていることが大事だと思いますが・・・)、霊魂の存在や、人間や動植物の生まれ変わりを信じていたとしても、「過去はこんな人生だったようだが、今回の人生も、できるだけ充実した幸せな人生を送れるように頑張ろう」とか、「次の人生は、どこでどのような素晴らしい人生を送ることになるのだろうか」などというように、わりと気分的には軽く、また希望に満ちた、ワクワクした気持ちになることが多いのではないか、と思われます。

 ところが、そうではなく、大多数の人々が、戦争や飢饉や疫病や貧困などで、もうどうしようもなく肉体的にも精神的にも大変な不幸を感じるような社会の場合には(霊的に大変荒れた、混乱した状況になっている場合には、さらに大変だと思いますが・・・)、「現在のような、とんでもなくひどい世界を劇的に良くするような偉大な王が現れて、早く、本当に素晴らしい理想世界に、何とかしてもらえないものだろうか?」とか、あるいは、「こんなとんでもなくひどい社会の状況であっても、何とか少しでも苦悩を減らして、本当の幸福を得られないものだろうか?」、さらには、「できれば、こんな苦悩に満ちた世界での訳のわからない無数の生まれ変わりから、何とか永久に脱出することはできないものだろうか?」などというように、かなり深刻な重々しい感じで、非常に真剣に努力し続けるような人々が、たくさん出てくるようになってゆきがちなところがあったわけです。

 古代のインドでも、そうしたかなり深刻な社会の状況に陥るようになってしまったために、釈迦の生まれた頃のインドでは、「偉大な転輪聖王(てんりんじょうおう)が現れて、世界を一気にパラダイス的な社会に変えてくれるのではないか」とか、あるいは、「本当の解脱の道を悟って、無数の苦悩の生まれ変わりの輪廻から永遠に出られるような、本当に正しい教えを説かれる偉大な仏陀が現れてくるのではないか」などというようなことが、多くの人々の間で、かなり真剣に求められるようになっていたようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年4月24日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史



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