長い人類の歴史の間には、こうした知恵者の話は、はっきり言って、本当に数限りなく、たくさんあったのではないか、と思われるのですが、ところが、それと同時に長い人類の歴史の間には、こうした話とは、かなり違った知恵者の話もあるのですが、それをかなり大まかに要約すると、だいたい次のような内容になるのではないか、と思われます。
これは多少、極端な例になってしまうかもしれないのですが、例えば、先ほどと同じように多くの人々が、何らかの問題や失敗や病気や怪我などで、いったい、どうすればよいのか、わからなくなって、すっかり苦しみ、困り果てていると、そこに同じく素晴らしい知恵者のような人物が現れるのですが、その知恵者のような人物は、先ほどのような話とは少し違って、次のような話をしてきます。
「それは目に見えない恐ろしい神の怒りや霊の祟りが原因なので、とにかく今すぐ深々ときっちり礼拝をして、生贄(いけにえ)や御供物(ごくもつ)を捧げて、神や霊をなだめないと大変なことになる」とか、「それは今世や過去世のお前の行いがいけなかったからなのだ。今すぐ深く懺悔して、罪の償いをしないと、今後、お前はもっと大変なひどい目に遭うことになるだろう」とか、「それもこれも、みんなあの娘がとんでもない罪を犯したからなのだ。今すぐあの娘に罪の償いをさせるために私の妾にしなさい」とか、「これは恐ろしい先祖の霊が祟っているので、今すぐ、ものすごい大金をかけて、厳かで盛大な供養をしなくてはならない」などというように普通の人々には、あまりはっきりとは、よくわからないような原因と解決策を説明しながら、その上、かなり最もらしい証拠まで示すと、さらに不思議なことには、なぜかその知恵者の言う通りにしたら、たちまち、あるいは、いろいろな経緯の後に、多くの人々の問題や失敗は、何とかうまく解決したり、病気や怪我も何とかうまく治ったりはしたのだが、その後もずっと、その知恵者のことを、まるで神仏のように祀ったり、大変贅沢な生活の世話をし続けなくてはならないような少し変わった風習ができてしまった、というような話になります。
こうした知恵者の話を、かなり大雑把に分類すると、要するに最初の知恵者の知恵は、現在、多くの人々が考えているような普通の知恵で、それから後者の知恵者の知恵は、たいていの人は、あまり表立って、はっきりとは言わないかもしれないけれども、現在も多くの人々が、一部の宗教や霊的なことに対して感じているような多少怪しい感じの、もっとはっきり言うと、本当に正しいのかどうか、よくわからないような内容の知恵に当たるのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)
2020年12月8日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ