4、年をとり、ある程度、知恵や経験を持った人々の監督や指導の下に、若い人々にも様々な活躍や経験の機会を与えるべきである
四つめは、これは、少し変わった意見になるかもしれないのですが、実は、人類の歴史を見てみると、現代だけでなく、古今東西、ほぼどこの文明社会においても、ある程度、年をとって、様々な知恵や経験を経た人々と、そうではない、まだ、そうした知恵や経験を持っていない若い人々との間の対立や葛藤というのは、たびたびあったようなので、そうしたある程度、年をとった人々と、若い人々との関係を、いったい、どのようにして調和させてゆけばよいのか、ということを、ここでは考えてみたいと思います。
紙面の都合で、難しいことは、みんな置いておいて、わりと簡単に結論だけをバッサリ言ってしまうと、こんな感じになります。
かなり大雑把な感じで、単純に人間の分類をしてしまうと、要するに、もうすでにその社会で一定の地位や役割を得て、バリバリ働いていたり、またリタイヤして、ある程度、悠々自適な生活をしているような人々は、その社会の表も裏も非常によく知り尽くしているだけでなく、今日も、どこかでお金を稼いだり、増やしたり、もらったりして、ある程度、安定した生活を成り立たせているわけなのですが、ところが、それに対して、特にまだ若い人々というのは、その社会のことをあまり知らない上に、はっきり言うと、そうした人々の管理や保護の下にぶら下がって、大した働きもしていないにも関わらず、お金や食べ物をもらって、しかも多少、自由な時間を持て余すような感じで毎日、生活しているわけです。
そうすると普通、ある程度、その社会のことを知っているような人々であれば、まずは、ほとんど考えそうもないような素朴な疑問を、そうした若い人々は、何の躊躇もなく気軽に、いろいろと閃いてみたり、また、そうした社会の状況を、いくらでも問題視して、大騒ぎできるような状況になりがちなようなところがあるわけです。
Cecye(セスィエ)