三つめは、これは、ある意味で全く当たり前のことなのですが、人間の愛の気持ちというのは、やはり、ある程度の経済的(物質的)、肉体的、精神的なゆとりがあってこそ、十分自然に働くようなところがあるので、そうした意味で、それぞれの人が、あまりにも経済的、肉体的、あるいは精神的に無理が多かったり、強く追い込まれてしまうような状況は、できるだけ避けた方が賢明であるということです。
おそらく、これは、たいてい誰もが経験のあるような話になると思うのですが、普段は、非常に温厚で包容力があり、また知性や仕事能力においても、非常に秀でているような人であったとしても、毎日、過労でとてつもなく疲れているとか、いろいろな理由で、毎日、ほとんど何も食べていなかったり、眠れていないとか、あるいは、急に仕事量が増えたり、人間関係が大変になって、毎日、ものすごいストレスに耐えているとか、何らかの病気で肉体的、精神的にものすごく苦痛を感じているなどというような状況になった場合には、ほんのちょっとしたことで、短気に怒鳴り散らすようになったり、相手の話をよく聞かずに、すぐに決めつけるようなことを始めたり、また、細やかな配慮が全然できなくなったり、相手の困ったことや、頼みごとに全く応じられないような状況になったり、あるいは逆に、一人で閉じこもりがちになって、孤独に悩みを抱えるような状況になったり、一人で勝手なことばかりするようになることもあるので、はっきり言って、その人の性格や能力がどうこうという以前に、どんな人であっても、学業や仕事や家事に関しても、また、お金や住居や衣服といった生活面や、肉体や精神面に関しても、ある程度、十分な余裕があるようにしておかないといけないようなところがあるのです。
さらに言うと、これは、みなさんも経験からも、ある程度わかると思うのですが、人間というのは、いろいろな意味で余裕がないと、とてもではないが、安心して、誰かのことが好きになるとか、誰かと一緒に楽しく過ごすとか、あるいは、自分のことばかりでなく、周りの人々のことを十分に気遣うことができなくなってしまうようなところがあるので、そうした意味で、本当は、世の中で、それぞれの人の愛情関係の問題とされているようなことであっても、よくよく、そうした人々の様子を見てみると、実際には、お金や仕事や生活などの面で、あまりにも、ゆとりがない人生を送っていることが問題であることも多いものなのです。
ですから、そうした人の場合には、多少、人生を見直して、もう少し、いろいろな意味で余裕のある生活を送れるように努力してゆくことが、とても大切なのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)
2017年7月26日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 愛について / 現在のアセンションの状況 / 結婚、家庭