さて、それでは、こうした人間の欲求と、知的活動の間には、いったいどのような関係があるのかというと、どうも多くの人々の「もっと知りたい」というような知的欲求の様子を見ていると、本当に「何かが知りたい」、「何かができるようになってみたい」と思って、知的な欲求を感じている時と、そうではなく、本当は「何かが怖い。でも怖いけど、その先にある何かわからないものを知ってみたい、体験してみたい」とか、「現実の世界では、まずは絶対に体験できないような、何か特別な快楽や幸福を味わってみたい」とか、「自分の表面的な意識としては、なかなかはっきりわからないのだが、心の奥にある、何か得体の知れない精神的な衝動を、何とか十分に満たしてみたい」などというような、言ってみれば、人間の心の奥にある強い恐怖心や、何か得体の知れない快楽欲求のようなものに基づいて、「もっと知りたい、わかってみたい」というような知的欲求を感じている時もあるようなのです。
ですから、前者のような単純な知的欲求の場合には、「こんなことが知りたい、わかった」などというように、わりと単純に、次々と知的な欲求を満たし続けてゆけるようなところがあるのですが、そうではなく、後者のような少し複雑怪奇な人間心理に基づく知的欲求の場合には、「こんなことが知りたい、わかった。でも何だか、もっと奥があって凄そうな気分がするので、もっと知ってみたい。体験してみたい・・・」などというように、はっきり言うと、知っても知っても、よくわかるようでわからない、知的探求の迷路のような世界に入っていってしまうこともあるので、こうした知的欲求のあり方には、多少注意が必要なところもあるようです。
Cecye(セスィエ)
2017年2月3日 9:03 PM, 知恵、正しさ