②激しい民族や部族の対立が続いている場合、最初の時点から正義の観点や、力による統治の姿勢を、あまり強く打ち出しすぎてしまうと、なかなかうまくいかないことが多い
二つめは、これは多少難しいところがあるのですが、人類の歴史を見てみると、外部から何の圧力も干渉もない状況で、二つ以上の民族や部族が(勢力的に拮抗するような形で)、かなり激しい形で、お互いに対立し、武力を行使し合ったり、略奪や犯罪まがいの行為を繰り返している場合には、お互いにそうした非人道的な行為を繰り返すうちに、だんだん、その規模ややり方がどんどんエスカレートしてゆき、最終的には、両者とも完全に疲弊して、もう心の底から「ほとほと戦争が嫌になった」と感じた段階で、最初、対立し始めた時の主張など、どこ吹く風で、「もうどうでもいいから、戦争はやめる」というような、外部の人々から見ると、ほぼ全く意味不明と言ってもよいような停戦条約のようなものを結ぶと、その後、かなり長い期間に渡って、ほぼ全く戦争のない状態になるか、あるいは、昔だと、どちらか一方が、ほぼ完全に皆殺しにされるか、また生き残ったとしても、奴隷にされるか、もしくは、完全にその土地を追い出されて、難民状態になるか、のいずれかの状況になることが多かったように思います。
現在だと、そこまで行く途中の段階で、たいてい、世界の主要国や国連を中心に政治的な調停が試みられたり、また場合によっては、国連の平和維持軍が結成されて、そうした戦乱を、あまり大きく広げないための軍事活動が試みられることが多いのですが、まだ、そうした形で大きな戦乱が広がる以前の段階であれば、できるだけ、そうした民族や部族の代表者の間での話し合いによる解決を目指すことが大切になります。
ただし、こうした当事者の間での話し合いの過程で、よく問題になりがちなことがあるのですが、それは、どちらか一方が、「こちらが絶対に正しいんだ。お前たちが、絶対に間違っている」などというように、あまりにも強い感じで、正義の観点や、力による統治の姿勢を打ち出しすぎてしまうと、その時点で、お互いに歩み寄り、わかりあうような姿勢が、瞬く間に崩れてしまうということなのです。
ですから、そうした際には、それぞれの当事者の実際の状況や言い分を、まずは、お互いに、できるだけはっきりと明確に伝え合った上で、それぞれの当事者が、「この点に関しては、死活的な内容なので、どうしても譲歩することができないが、別のこの点に関しては、この程度の譲歩や変更や補償はできる」などというように、お互いに、できるだけ通すべきところは通し、また、折れるべきところは折れるようにして、それぞれの当事者が、最も納得した形で、長期的な平和や繁栄が実現できるような最善の打開策を見つけてゆくような努力が、とても大切になるのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)