少し間が空きましたが、この前の話の続きになります。
4、多くの国々の社会に残りがちな差別階級や少数民族や、外国人の問題について
四つめは、これは歴史的には、どの国でも、あちこちでずっと問題になり続けてきたような内容になるのですが、いわゆる、その国や社会に結構、根強く残りがちな差別階級(下層身分)や少数民族や、また場合によっては、外国人の問題になります。
現代のニュースを見ていると、どんなに進んだ先進国の国々から、そうとは言えない発展途上国の国々に至るまで、こうした差別階級や少数民族や外国人の問題は、現代においても、あちこちでずっと起き続けている問題なので、現在の流れであれば、ひょっとすると、このまま数十年経っても、数百年経っても、こうした問題は、まだまだ根強く残ってゆく可能性があります。
それでは、こうした問題に関して、いったいどのようなことが言えるのかというと、大まかに言うと、次のようなことが言えます。
①多くの人々の間で、少しでも差別や偏見をなくすための地道な努力や行動をし続けてゆくことが、とても大切である
一つめは、これは当然のことですが、まずはともかく、教育や就職といった基本的な人間としての扱いの面において、少しずつでも構わないので、あらゆる面で、そうした人々への差別や偏見をなくすための、かなり地道な努力や行動をしてゆくことが、とても大切になります。
こうした際に大事なのは、そうした差別をしたり、偏見を持っている側の人々の物の見方と、それから、そうした差別をされたり、偏見を持たれている側の人々の物の見方を、いかにして、正しい形で埋め合わせてゆくか、ということになると思うのですが、それというのは、そうした差別をしたり、偏見を持っている側の人々の感覚とほぼ同じくらいのレベルで、そうした差別を受けたり、偏見を持たれている側の人々も、「自分達は、何をやってもダメなんだ」とか、「あの人達は頭がいいし、何でもできるけど、自分達は、元々バカだし、何もできないんだ」などというように、端から見ると、本当にお互いになかなか、うまく理解し合えないような根深い差別や偏見の強い思い込みを持っていることが多いからなのです。
ですから、こうした場合には、教育や就職の機会や、様々な仕事や生活の場面や、それから多くの人々の間の様々な交流の機会を通して、できるだけ多くの人々が、何か一緒に同じようなことにトライして、お互いに理解と共感を深めると共に、様々な個人や集団としての実績を積み重ねるようにしていったり、また、なるべく同じようなテレビやラジオや新聞や雑誌などに接するようにして、できるだけ同じような考え方や行動の基盤を、少しでも多く築いてゆくことが、とても大切なのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)