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人間の知的な成長のプロセスと、より良いコミュニケーションのあり方について Part 12

⑧たとえ一見、ほぼ同じような物事に関する言葉であっても、宗教や道徳や、その国の教育や、時にはマスコミの報道のあり方によって、かなり大きく意味やニュアンスが違ってしまうことがある。

 それから八つめは、今度は、そうした国や民族や地域に関係の深い、宗教や道徳的な価値観や、それから国の教育や、マスコミ報道のあり方による多くの人々の物事に関する言葉の感じ方や考え方のが違いになります。

 これは単純に、その国や民族や地域で、わりとメジャーな宗教や道徳的な価値観において、いったいどのようなことが良しとされ、また悪いこととされているのか、それから、いったいどのような国の教育やマスコミ報道がなされているのか、ということで、かなり大きく違ってくるのですが、これも幾つか例をあげて、説明してみたいと思います。

 まず宗教的な価値観について考えてみると、例えば、ある宗教では、神は絶対的な存在で、人間に対して、一方的に決まりや命令を与えてくる存在になっているのですが、それが別のある宗教では、その神自身も、元々は普通の人間で、ものすごい霊的な修行をした結果 神(仏教では「仏(仏陀、ぶっだ)」と言いますが・・・)になった存在であるとされていたり、また別のある宗教では、神は絶対に一人しかいないと言われているが(一般には「宇宙の創造主」というような意味になりますが・・・)、別のある宗教では、神のような存在が、何人も何十人も、また場合によっては、何百万人も、ものすごくたくさんいることになっているなどというように、結構、宗教の違いによって、その宗教の最高存在であるはずの「神」の概念ですら、かなり大きく違っていることがあります。

※神以外の霊的な存在達、例えば、死者の霊や、天使や菩薩、それから悪魔のような存在達や、それから、そうした存在達がいる霊界や幽界、天国や地獄などに関しても、かなりイメージが違っていることが多いです。

 神の概念が違うのであれば、当然、その宗教で教えている「善悪」の概念も、結構、宗教によって違っていたりすることが多いのですが、例えば、ある宗教では、非常に良いこととされていることが、別のある宗教では、とんでもない悪いことのように言われているとか、また、ある宗教では、絶対にやってはいけない、とんでもない罪悪とされていることが、別のある宗教では、ほとんど全く何の罪悪感もなく、普通の人間的な行為とされているなどというように、こうした宗教的な善悪の概念も、結構、宗教によって、大きく違っているところがあるようです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年7月14日 9:03 PM, 宗教、道徳 / 知恵、正しさ



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