2、たとえ霊的な存在との関係であっても、この世の人間関係と同じように相互の信頼関係がしっかり築けることが大切である
二つめは、これは少し違った観点になるのですが、ある程度霊的な能力が開けてきた人が、どうしても陥りやすい盲点のようなものがあるのですが、それは、この世の社会において、有名な人や地位や収入の高い人と会うと、何となく萎縮して自分の言いたいことがうまく言えなくなったり、自分らしい言動がうまくできなくなるような人がいるのとほぼ同じような理由で、要するにある程度霊的な能力のある人であっても、自分の目の前に非常に光り輝いた偉大な霊的な存在がいるように感じると、何となく萎縮して自分が言いたいことがうまく言えなくなったり、そうした存在を尊重しすぎて、何でも言いなりになってしまうような人が、意外と結構な数いるものなのです。
ところが、私自身の霊的な体験として最も危険であると感じているのは、一見、非常に神々しい感じで現れるけれども、なぜかそうした存在がいると自分の素直な意見が言えなくなったり、あるいは強い念力のようなもので、ギュッとこちらの意思を自由に操ろうとしてくるようなケースなのです。
ですから、いくら霊的な能力がある程度開けて、自分の目の前に一見、非常に素晴らしい霊的な存在のようなものが現れてきたとしても、何となく自分の考えがうまく言えなくなったり、あるいは、いつの間にか自分の意思が、相手のペースで、ぐいぐいとコントロールされるように感じられるような場合には、それは本物の光の存在ではなく、偽光界にたくさんいる偽光の存在であると認識した方がよいのではないか、というように考えています。
それでは、その対策としては、いったいどのようなことが大切なのかというと、これはわりと単純な話になるのですが、たとえ相手の霊的な存在が一見、非常に神々しい霊力の強いタイプであったとしても、言っていることにあちこち矛盾があったり、こちらの都合を全く考えてくれなかったり、あるいは、あまりにも高飛車な態度をとり続けるような場合には、地上の世界の人間関係上での対応とほぼ同じように相互の信頼関係がしっかり築けないものと客観的に判断して、「これは本当の神仏ではない」と割り切り、わりときっちりとした態度で、そうした霊的存在との縁をしっかり断つことがとても重要なのではないか、と考えています。
※逆に「助けてくれ」とか、「救ってほしい」などというように、一見、霊的な弱者をよそおってきた場合にも、非常に支離滅裂な主張が多かったり、また、あまりに相手の都合ばかり言って、こちらの都合を全く考えてくれないようなケースに関しては、本当はそうした霊存在は、自分が救われたいのではなく、そうした立場を利用して、自分に関心を持ってもらったり、自分の都合の良いように、こちらをコントロールすることが本当の目的であると判断して、距離を取るのが賢明なのではないかと思われます。
Cecye(セスィエ)
2016年3月28日 9:04 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 現在のアセンションの状況