この文章は8月の末頃に書いたものなのですが、タイミングを逸して、ずっと載せそこなってしまっていたので、今回載せておきます。
最近もずっと、人間社会の中の様々な言葉や文字やマークや動作の裏に隠れた悪質なマインドプログラムを少しずつ見つけては除去している作業を続けているのですが、おそらく現在の推移だと、現代の辺りの時代を境にして、「あれ、この言葉、どんな意味だったのかな?」とか、「昔はこんな漢字や言葉の意味、すぐにわかったのに、何だか頭の中からそうした概念自体が全部なくなっちゃったみたいで、よくわからなくなってきた」とか、「昔は、すぐにカッとして怒り出していたようなことが全然頭に来ないや」とか、「昔はすごく魅力的に思えたことが全然ピンと来なくなってきた」などというようなことが、多くの人々の間でだんだん増えてゆくのではないかということなのです。
多分、こうした兆候は、今後もずっと続いてゆくように思われるのですが、そうした状況が続いてゆくと、おそらく、ある段階から現在の地球上にあるたくさんの言葉がだんだん使いづらくなってきて、「自分の気持ちをもっとストレートに表せる地球の標準語みたいなのはできないかな」とか、「昔は、国や民族で結構大きな違いがあるように思っていたんだけど、地球規模で全世界的な交流が起きて何百年も経つと、だんだん世界規模で人間同士の考え方や言葉や日頃の習慣や生き方が似てきて、だんだん言葉の違いが不必要に思えてきた」とか、「昔はものすごく違和感や憎しみを感じていた国や民族に対して、だんだんそうした感覚自体がなくなってきて、無理なくできるようなところは、できるだけ同じような考え方やシステムで統一してしまってもいいような気がしてきた」などというように、要するに、できるところはなるべく自然な形で一つの言語や考え方ややり方に統一してしまった方がよいというような感覚になってゆくかもしれない、ということが言えるようです(参考1、参考2)。
Cecye(セスィエ)
2015年10月16日 9:05 PM, おすすめ記事 / 予知、予言、未来予測 / 現在のアセンションの状況