大小様々な意識存在達の生命活動のあり方について
そうすると、そうした複合的な霊、あるいは意識存在というのは、いったいどのような存在なのかというと、これは細かく言うとかなり説明が難しくなってしまうのですが、大まかに言うと次のような三つのことが言えます。
まず一つめは、これは昔から霊的なことを探求している人々が非常に不可思議な内容として捉えていたような内容になるのですが、要するに人間を初めとするような様々な動植物といった生物は、確かにそれぞれが非常に生命感豊かに生き生きと生命を営んでいるのですが、動物のように常にああしよう、こうしようという具合に非常に能動的に活発に意識活動を営んでいるような意識存在達と、そうではなく、植物のように一見ほとんど何の動きも反応も見られないような、つまり非常にゆっくりとした感じでかなり受動的な形で意識活動を営んでいるような意識存在達がいるということです。
もう少し正確に言うと、生命存在の中には、動物のようにわりと活発な感じで能動的に活動しようとするような意識存在達と、そうではなく、植物のようにかなりゆっくりとした受動的な感じで意識活動を行うような存在達がいるということです。
それから二つめは、これはまだあまり人類はよく理解していないようなところもあるのですが、生命存在というのは非常に不思議で、植物の種のようにほぼ全く動かずに生命存在としては、まるで深く眠るような形で生き続けているものもあれば、そうした眠ったような状態ではなく、一粒の種が芽を出し、葉や茎を伸ばして、きれいな花を咲かせ、豊かな実をつけてゆくように様々な形で動いたり、成長したりしてゆくような状態で生きているものもあるわけです。
つまり生命存在の状態としては、種のような形で一応生きてはいるけれども、ほとんど動かずに何の成長もしない、いわゆる休眠状態の時と、そうではなく、葉や茎を伸ばし、きれいな花を咲かせ、たくさんの実をつけてゆくようなどんどんと動き成長してゆく状態の時の二種類があるということです。
Cecye(セスィエ)
2015年10月8日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 自然、生命