第七には、日本の教育では、あたかも明治維新以降、「四民平等」で差別のない平等社会に移行したかのような印象を受けるのですが、これは間違いで戦前の日本には、天皇、皇族の下にたくさんの華族がいて、さらにそうした制度に連なる大勢の特権階級のような人々がいて(特に戦前戦中の特高や憲兵の写真を見ると、当時の雰囲気がよくわかります。私は、いくらきれい事を並べても、ああいう国は大嫌いです)、ほぼ独占的な形で政治運営をしていました(そうした人々が、すべて悪いことばかりしていたとは思わないのですが・・・)。
ですから日本の歴史において、ほんの一握りの天皇や皇族のような特殊な身分の人々を除いて、本当の意味で、ほぼすべての人々が自由や平等を手にしたのは、日本国憲法を施行した後の戦後の日本になってからのことです(それから戦後の日本では、後に「一億総中流」を呼ばれるくらい多くの人々が非常に豊かになったことも、とても大きかったと思います)。
第八には、時々、「日本人はとても優秀だから、今日のような非常に繁栄した日本になった」というような話を聞くことがあるのですが、これは主として1970年代ぐらい以降の日本の様子を前提とした話で、戦前戦中の日本の様子を見る限り、どこの国や民族にも同じように素晴らしい人格の優秀な人々はいたので、特にことさら日本人だけが、そうであった様子はないということと(当時の外国の事情とほとんど同じように当時の日本人の中にも、時々、とんでもないひどいことをするような人々もいたようです)、さらに1980年代以降の東南アジアや中国の発展の様子を見ると、別に国の制度や教育さえしっかり整えれば、世界中どこの国でも、ほぼ同じように発展できる、つまり世界中どこの国の人々も、それなりの発展の機会さえ整えれば、みんな優秀な人々であることは、ほぼ明らかになっているということです(逆に言うと戦前の国家体制のままの場合には、戦後のような日本の繁栄は全くなかったのではないかということです)。
※少し前の日本の高度成長の時代には、「日本人は、手先が器用でよく働く」というような話をよく聞いたのですが、さらにその後の高度成長しているアジアの国々でも、ほぼ同じような話を聞いていますし、さらに歴史をさかのぼると100年以上前のアメリカ人に対して(当時のアメリカは、現代の感覚で言うと、まだ典型的な発展途上国であったように思われます)、当時の日本人が同じような感想を持っていたようなので、実際には、どこの国もあまり変わらないようです。
Cecye(セスィエ)