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霊的に見た日本の神道について Part 12

 さて、こうした観点から、もう一度、神道というものを考え直してみたいと思うのですが、これは、もうすでに現代のスピリチュアルな人々は、かなり深く調べたり、実践している内容になるのですが、要するに、神話は神話として、ある程度は知っておいてもよいかもしれないけれど、再度、現代に生きる日本人として、真に霊的な観点から、それぞれの神仏の本当の霊的な姿や働きについて、考え直してみる必要があるのではないか、ということなのです。

 つまり、今日の多くの人々の宗教的な実感としては、例えば、天照大神なら神宮に行けば、霊的に何か大きな愛や慈悲の存在がいて、いつも自分を大切に見守り、導いてくれている、というような感覚を持つ人は多いようなのですが、それなら、そうした人々が、古くからの日本の神話の天照大神の描写をそのまま受け入れているのか、というと、これは、もうはっきり言って、ほとんど全く受け入れずに、ほぼ完全に無視している、というのが現実なのではないか、ということなのです。

 例えば、昔から神話の話だと、ある神は、かなり荒っぽい印象なのだが、実際に神社に行って、その神を霊的に感じ取ってみると、少し霊的なことが分かる人は、みんな口を揃えて、とても穏やかな優しい感じだった、などと全然違う印象を語ることがある、などというように、実は、日本では、こうした神話の神仏像と、実際の神仏像の遊離というのは、おそらく、もう千年以上も前から起きていたのではないか、ということなのです。

 このように日本では、古くから伝わるとされる神話の神仏像と、実際に霊的に感じられる神仏像があまりに違いすぎているために、結局、神道の歴史では、昔からの神道の神々に、外国から伝わってきた仏教の仏や菩薩や神や天といった概念を取り入れていったり、後からかなり違った別の説明を付け加えていったり、また場合によっては、前の神道とは全然異なる新宗教を興して、何とか少しでも、霊界にいる本当の神仏像に近づけようとしてきた、というのが、実際の日本の宗教の歴史だったのではないか、ということなのです。

 つまり、もっとはっきり言うと、日本の神道の場合、霊的に優れた人々から見ても、また、多くの人々の素朴な感想から見ても、古くから伝わる神話の神仏のイメージと、実際の神仏のイメージが、あまりに異なっているために、今日多くの人々が信仰している神道というのは、現実には、もうすでにかなり昔の段階(1000年以上前)から、昔の神話からは、適当に都合の良い部分だけを選んで、受けいれてもゆくが、実際には、神社の神主を初めとする多くの人々は、そうした昔の日本の神話とは、全然違う神様仏様を信仰しているし、また、そうでなければ、とてもではないが、神社仏閣に行って、神道の神様仏様なんてお参りできない、というのが、神道の実態だったのではないか、ということなのです。

 

 

 追伸

 つまり、日本の場合、神道の神話と、実際に多くの人々が感じている神様のイメージがあまりにも違いすぎるので、現代人としては、再度、霊的な感覚を研ぎ澄まして、本当の神仏というものを自ら感じ取り、理解するような努力をし始めてもよいのではないか、ということです。

 少し前に「かぐや姫」の話も書いたのですが、「かぐや姫に罪があって、地上に流されてきたなんて、何だか変だと思っていた」、というような感想を持つ人が意外と多かったようなので、歴史的には、それ以前の成立とされる「古事記」や「日本書紀」といった日本の神話も、実際には、本当の日本の神とは、全然違う話だったのではないか、ということです。

 続きは、まだまだありそうな感じですが、いったん神道の話は終わりにしたいと思います。

 

Cecye(セスィエ)

2013年10月22日 9:06 PM, 神道



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