二つめは、これは時折、霊界物の話に出ているような内容になるのですが、霊界、もしくは、幽界のような所では、人間のようなある程度、高等動物だったような生き物が、「自分の周りには、こんな人々や生き物達がいて、こんな家や村があり、近くには、こんな森や海のような自然の風景が広がっている」というような非常に強い心象風景、というか、あまりにも強い思い込みのようなものを持っている場合には、死後の世界においても、自分の周りにそうした地上の世界に自分が生きていた時の状況とほとんどそっくりの周りの人々や生き物達や建物や自然の風景を創り出して、そして、そうした地上の世界そっくりの霊界で何年も何十年も、時には、何百年も地上の世界では、自分は、もうすでに肉体的には死んだことになっていることにすら気付かずに、ずっと同じような生活を続けているような人々や生き物達が、これまでの時代には結構、数多くいたのです。
※ある程度、澄み切った霊界では、たいていの人は、地上の世界における自分の肉体的な死については、冷静に受け入れていることが多かったのですが、地上に側近い幽界では、自分が死んだことにすら気付かないケースが、とても多かったようです。
地上の世界の人間の立場としては、人や生き物が、実際に生きていることと生きていないこと、つまり、実際にいることと、いないことというのは、あまりにもはっきりと明確であるために、こうした話は、単なる笑い話や迷信のような扱いしかできないようなところがあるのですが、ところが意外なことに霊的なことを少し調べてみると、国内どころか、世界中でたくさんの霊能者や、死後の世界をかいまみた臨死体験をした人々や、あるいは、かなりはっきりとした白昼夢や夢を見たという人々が、これと似たような霊界の体験談をしていることが多いので、客観的に見る限り、これまでの時代には、実際に生きていることと生きていないことが、完全に明確にはっきりしている、この物質世界の向こう側の死後の世界では、自分が死んだことすら全くよく分からないような形で、生前の自分の生活とほぼ同じような生活をそのまま続けている人々が、結構たくさんいた、というのは、かなり真実味のある霊的な事実だったのではないか、と思われます。
つまり、こうした観点から見てみると、霊界、もしくは、幽界という所では、単に人や物の名前を呼ぶだけで、さっきまで、そこにいなかった人や物が、パッと蜃気楼のように目の前に現れてくるようなことが起きたり、あるいは、その人の強い思念のあり方によって、この世的には絶対にないはずの人や物が、あたかも本当に存在しているかのように見えることがあったなどというように、人や物といった存在のあり方というのは、かなり不安定で微妙なところがあった、つまり、もっとはっきり言うと、霊界や幽界という所は、いろいろな人や物が、本当にそこにいるのだか、いないのだか、よく分からないような所になっていたということなのです。
Cecye(セスィエ)
2014年8月27日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界