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人間の信用や信頼感について Part 9

7、神仏と人間の間の信用や信頼の関係について

 ここから、さらにちょっと複雑で難しい問題について、考えてゆきたいと思うのですが、それは、神仏への信用や信頼感の問題、つまり、神仏への信仰の問題になります。

 こうした問題は、私の文章では、あちこちで触れてきているので、もうそれなりに慣れている人も多いかもしれないのですが、今回は、もう少し奥の深い内容になります。

 さて、それは何なのか、というと、現在の地球には、世界中に様々な宗教があるのですが、実は、こうした神仏への信用や信頼感の問題というのは、あまり深く考えてはいけない、というか、深く考えることが、ある種のタブーになっているようなところがあるので、多くの人々は、あまり深く考えたことも、また、そもそも、それ以前に強く関心を持ったすらないというのが実情なのではないか、ということなのです。

 ここでは、大きく三つのテーマを扱いたいと思うのですが、一つは、人間から見た神仏への信用と信頼感の問題で、二つめは、逆に神仏から見た人間への信用や信頼感の問題で、それから三つめは、そうした神仏と人間の間の信用や信頼関係の総論のような内容になります。

 

①多くの人々の願いや要求が、一方的に肥大化してゆきやすい宗教の世界では、その宗教の成立年代が、古ければ古いほど、その宗教の神仏の実態に対して、信用過剰の状況になっている可能性が高い

 まず一つめの人間から見た神仏への信用や信頼感の問題について、考えてみたいと思うのですが、多くの人々の本音の感想という視点から考えてゆくと、これまでの時代、この物質世界において、少しでも幸せに生きてゆくためには、とにかく、いろいろと大変な厳しい出来事が、あまりに多かったために、何か自分を心の底から安心させ、幸せに導いてくれるような神仏のような存在を信じていないと、とてもではないが、毎日、心穏やかに生きてゆけないというような状況が、ずっと長く続いてきたのではないか、ということなのです。

 そうすると、これは、よく考えてみると非常に問題が多いのですが、そうした形で、多くの人々に心の底からの安心と幸せをもたらすような神仏というのは、賢ければ賢いほどいいし、また、優しければ優しいほどいいし、それから、強ければ強いほどいいし、さらには、偉大であれば偉大であるほどいいという具合に、宗教の歴史を調べてみると、はっきり言って、その宗教の成立後、時代を下れば、時代を下るほど、その神仏の性質や能力やパワーが、どんどん右肩上がりに上昇し続けてゆくようなところがあったようなのです。

 おそらく、こうした宗教の歴史を冷静にかえりみた場合には、残念ながら、現在の世界のほぼすべての宗教という宗教の神仏への多くの人々の信用や信頼感というのは、当初、その宗教を興した開祖の人物から見た場合には、ほぼ確実に、そうした神仏の実態以上の信用過剰の状況になっているのではないか、と推測されます。

 

②これまでの神仏と人間の間のやり取りから推測する限り、神仏から見た人間への信用や信頼感も、かなり低かったことが推測される

 二つめは、今度は、神仏から見た人間への信用と信頼感の問題について、考えてみたいと思うのですが、これも宗教書をひもとけば、あっちにもこっちにも、そうした神仏が、人間の勝手な振る舞いに激怒したり、間違いを厳しく指摘しているような描写が出てくるので、単純に考えて、おそらく、神仏から見た人間への信用や信頼感というのも、現在、多くの人々が、素朴に考えている以上に、かなり低かったのではないか、ということが推測されます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年12月10日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ



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