Q古文、漢文について
A古文、漢文、つまり、昔の日本の文章がある程度読めることは、特に近現代の日本人の代表的な教養であったことは、まぎれもない事実だと思います(少し前の欧米人のラテン語の位置づけと多少似ています)。
それで学校に入学すると、小学校で基本的な文字の読み書きを学んだ後、特に中学に入学すると、待ってましたとばかりに、近現代の日本人の代表的な教養である古文、漢文をやって、「君達も、少しは難しい古くからの日本人の教養を身につけてみないか」というのが、多分、特に中学ぐらいから古文、漢文をやる目的だと思うのですが、問題なのは、学校を卒業した後、古文にしろ、漢文にしろ、ほとんど使わないことなんです。
そのわりには、こうした古文、漢文ができないことは、多くの人々に子供時代の体験として、「国語が嫌い。文字が嫌い。本を読むのが面倒くさい」というような、その人の人生にかなりネガティブな影響を与えることが多いようなので、私はそれよりかは、もっと単純に「昔の話にも、本当かどうかはともかくとして、楽しくて面白い、興味深いものがたくさんある」とか、「本を読むのは楽しい。詩や俳句を読んだり、作ったりするのは楽しい」というように、それぞれの人に、もっとポジティブな影響を与えるような国語教育をやった方がよほど良いのではないか、と考えています。
それと外国で、日本の昔の源氏物語や松尾芭蕉の俳句が素晴らしいと評価されているとしても、それは外国の現代語で読んだ人達がそう言っているわけなので、現代だと古典であっても、現代語の訳でそうした古典の楽しさや素晴らしさを伝えて、その上で、そうした専門を特に希望する人だけが、そうした古典の細かい読み方を学んでいれば、十分なのではないでしょうか(参考1、参考2、参考3)。
Cecye(セスィエ)