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天皇制について Part 11

③「天皇教」や「大日本帝国憲法」は、内憂外患の明治時代を乗り切るために維新の元勲達が創作した一種の国家教だったが、昭和の時代に入ると、その矛盾や限界が次々と問題を引き起こすようになっていった

 さらに第三には、これが、この文章で最も言いたい話になってくるのですが、戦後、よく言われている大日本帝国の最大の問題の一つに「不磨の大典」と言われた、いわゆる「大日本帝国憲法」の問題があげられるのですが、実際、この大日本帝国憲法は、後世の観点から見ると、かなり問題が多い欠陥憲法だったということです。

 

明治憲法が成立した頃の日本は、内憂外患の時代で、多くの国民は、実際には、それほど天皇のことを信じているわけではなかったが、昭和の頃になると長年の教育や戦勝の影響で、本当に多くの国民が天皇を信じすぎるようになっていった

 これは今日でも、まだ多くの人々にあまりはっきりと理解されていないような内容になるのですが、大日本帝国憲法が制定された当時の日本は、昭和の頃の日本とは全然違って、一応、「一つの国」、「一つの帝国」というような形にはなっているのですが、実際には、まだまだ江戸時代の伝統や習慣がかなり根強く残っていて、それぞれの地方(昔の藩)ごとにかなり独立志向が強い上に、大多数の人々は、まだ当時の政府をあまり信用していない、つまり、もっと簡単に言うと中央の政府の人々の目から見ると、すぐに国中がバラバラになって、外国に侵略されかねないような、かなりまとめるのが大変な国だったということなのです。

 そうした政治状況の日本において、何とか強引に一つのまとまりをつけるために当時の日本の指導者達は、かなり苦労に苦労を重ねていたわけなのですが、その際に一つの切り札のように感じていたのが、おそらく当時の「大日本帝国憲法」だったのではないかということなのです。

 つまり昭和の頃の日本と違って、明治の頃の政府の指導者の感覚としては、たとえ全国通津うらうらの学校で、天皇や皇后の写真を飾り、わりと普遍的な道徳的な教えである教育勅語を小さい頃から教えたとしても、彼らの本心というのは、だいたい、こんな感じだったのではないかと思われます。

 「いいかい、みんな、この国の天皇、皇后は、こんなに立派な偉い人で、こんなにものすごい尊い教えを授けてくれるんだ。だから君達もこんな立派な生き方をしてみたいと思わないか。政府としては、ものすごく立派そうに権威を付けるから、できれば信じてくれないだろうか」、「そうすれば、みんなが言うことを聞いてくれやすくなるから、国家の統治がものすごく簡単になるし、優れた外国の制度も、より簡単にどんどん日本に導入できるんだ」、「それに今の日本は一つにまとまっていないと、いつ外国に侵略されるか分からないような状況なので、天皇陛下様々って感じで国の命令に従ってくれる人がたくさんいないと、君達はよく分からないかもしれないけど、もう日本の将来はないくらい大変な状況なんだよ」、「そういうことなので細かいことは聞かずに、できれば、そのまま信じてくれないかな〜」というような感覚だったと思われます。

※当時の大多数の日本人は、江戸時代の後で、まだ自分は下々の身分の百姓や町人といった感覚しか持っておらず、当時の政府としては義務教育によって、何とか「自分は、ただの百姓や町人ではなくて、日本国民である(もしくは天皇の臣民である)」とか、「一部の武士だけではなく、すべての国民が力を合わせて、自分達の国を守らなくてはならない」というような、いわゆる「国民意識」のようなものを一生懸命教えていた段階でした。

 それが時代を経て、大正、昭和の頃になると、逆に天皇の権威の方が多少行き過ぎるようになってゆき、「天皇は、本当に立派な偉い人なんだ。そして天皇から授かった教育勅語は最高の教えで、日本は最高に尊い神国なんだ」などと本当に信じ込むような人々が、かなりたくさん出てくるようになってしまったようなのです。

 つまり政治というのは、たくさんの人々の利害の駆け引きというか、微妙なバランス調整の要素がかなり強いようなところがあるのですが、おそらく現代の多くの人々の感覚、また昭和初期の頃の人々の感覚ともかなり違って、明治憲法が成立した当時の政府の人々の感覚としては、ただでさえ国内は未曾有の大変化の最中で不安定、その上、国外も隙さえあれば、西欧列強や近隣諸国が次々と侵略の機会を伺っているというような、とんでもない御時世(ごじせい)だったので、「これだけ強い権威と権力を天皇の所に集めておけば、そう簡単に国に騒動が起こるようなことは絶対にないだろう」というような感覚で、そうした憲法を作ったものと思われるのですが、それが数十年過ぎる頃には、日清戦争、日露戦争と、当の明治の指導者達ですら、そう簡単に勝てるとは思えなかったような大戦争に立て続けに大勝利してしまったために、本当に大多数の日本人が、その大日本帝国憲法で説かれている「天皇教」を強く信じるようになっていってしまったということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年7月30日 5:10 PM, おすすめ記事 / 政治 / 歴史 / 社会、文化 / 軍事



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