第三には、これも考えてみると、非常に不思議な話になるのですが、実は、現在の地球の文明では、本当に、その行為自身が、純粋に楽しい、とか、その行為自身に純粋な魅力を感じて、多くの人々が行っているような、自然な幸福感を伴う行為と、そうではなく、本当は、その行為自身ではなく、その行為の裏側、つまり、先ほどから述べているような、イデアの世界や深層意識世界において、自分が体験している、いろいろな楽しい幸せな体験や、それに付随する、いろいろな苦痛や恐怖体験が理由で、多くの人々が群がるように、大金や時間を投じて、行っているような、不健全な幸福感を伴う行為の、二種類の体験がある、ということなのです。
これは、みなさんが、冷静に、自分自身の日頃の考えや感じ方を振り返ってみれば、かなりはっきり理解できるのではないか、と思われるのですが、要するに、その良し悪しはともかくとして、冷静に振り返ってみるに、本当は、その行為自体は、それほど楽しいとも面白いとも思っていないにも関わらず、「なぜか、どうしても惹かれてしまう」、とか、「なぜか、どうしても止められない」、とか、「なぜか、どうしても見たり、聞いたりしたくなってしまう」、というような、いわゆる、ちょっとした中毒性や常習性のあるような行為の中には、先ほどから述べているような、この物質世界の裏世界である、イデアの世界との関連性があるものが、結構、数多くあるものなのです(例、博打、麻薬等・・・。現在、少しずつ減っているのですが、普通の日常生活に絡んだものまで含めると、結構、たくさんあります)。
Cecye(セスィエ)
2013年6月7日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 時間と空間の秘密