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「愛」について Part 10

①愛の理想は、いっけん誰もが抵抗しがたいような非常に大きな魅力と説得力を持っているのだが、実際には、かなり曖昧で抽象的な概念に過ぎないようなところがあるので、気をつけないと行けども行けども、永遠に終わりのないような永久努力世界に引き込まれてしまう危険性がある

 まず第一には、これはよく考えてみれば、誰でもよく分かるような話なのではないか、と思われるのですが、この世界では、たいてい、「愛のために」という言葉は、ほぼ誰もが抵抗しがたいような、多くの人々を心の底から納得させ、動かし得るような素晴らしい魅力と説得力を持っているのですが、ただ、よく考えてみると、こうした「愛のために」という言葉ほど、曖昧で抽象的な概念はないのです。

 つまり、この世的にもっとよく分かるような喩えを使うと、要するにこうした「愛」の理想というのは、「あっちに行くと素晴らしいよ」と言われて、みんなでそっちの方角に歩いてゆくと、なかなか目的地にたどりつけないので、「さて果て、どうしたものか」と、みんなで考え込んでいると、「どうもその先には、さらにあっちがあるらしい」ということに気付いて、さらにどこまでもどこまでも、その「あっち」と言われる方角に向かって、歩き続けないといけなくなってしまうようなところがあるのです。

 つまり愛というのは、いっけん、ものすごく魅力的な説得力のある理想ではあるのですが、気をつけないと、こうした愛の理想というものによって、行けども行けども、永遠に終わりのない、あっちの方角を目指して、みんなでひたすら歩き続けないといけなくなるような、とんでもない永久努力世界に入り込んでしまう危険があるということです。

 

②愛は、どんな人にも最高の陶酔感と満足感を与える、究極の魔力を持った概念ではあるが、よく考えてみると、誰もその完全なコントロールの仕方も止め方も、また最終的な目的地も分からない、というような究極の不安要因を抱えている、とんでもない概念でもある

 第二には、これはあまり考えたことがないのではないか、と思うのですが、実は「愛」という概念には、そうした「愛」という概念そのものを全否定してしまうような完全循環型の自己否定概念(ぐるぐる回るように、それ以前の自分達のあり方を、どんどん全否定してゆくような感じです)のような要素が含まれているのです。

 これも説明が難しいので、なるべく簡単に説明してみたいと思うのですが、要するに「誰かを愛する」とか、「誰かのために何かをする」という行為は、それだけで非常に素晴らしい幸せな感覚をもたらす行為であるのですが、ところが、そのような形で愛の奉仕、愛の実践をしていると、そうした誰かを愛したり、誰かのために何かをした行為が元となって、たいてい再び、さらに誰かを愛したり、誰かのために何かをしなくてはならなくなってくるとか、あるいは、その反対に今度は、誰かに愛されたり、誰かから何かをしてもらわなくてはならなくなってくるようなところがあるのです。

 つまり愛というのは、どんな人にも最高の陶酔感と満足感をもたらすような究極の魔力を持った概念であるにも関わらず、よく考えてみると、誰もその完全なコントロールの仕方も分からなければ、また誰も、それを止めるための手立ても知らないし、それから誰も、それが最終的にいったい、どこに行き着くのかということすらも全然分からない、というような、いわゆる車や列車や飛行機のような交通手段で喩えると、目的地は不明、しかし止めるのは、ほぼ絶対に不可能で、かつ方向の制御も、ほとんどままならないような究極の不安要因のような要素も抱えた、とんでもない概念でもあるということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月19日 9:02 PM, キリスト教 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 愛について / 知恵、正しさ / 社会、文化



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