それから第三には、これはとても不思議な話なのですが、現在、世界中で多くの人々が、よくある仕事の一つと考えて、わりと自然な形でやっているにも関わらず、霊的には死後、結構大きな罪悪感を感じる仕事に軍需産業に関わる仕事というものがあるのですが、それは、いったいなぜなのかというと、確かにこの世的には、現在の段階では、まだそうした武器は、どうしても必要なところもあるのですが、ところが、そうした軍需産業で働いていた人々が、いざ亡くなってみると、なぜか昨日のことのように自分が作っていた武器が、その後、いったいどのような使われ方をして、いったいどのような形で多くの人々の人生に影響を与えていったのか、ということを結構、肌身に沁みて感じられるようになってしまうことがあるからなのです(これは特に軍需産業での仕事だけに限られた話ではないのですが・・・)。
※霊界でもある程度、高いところに還ると、生前の自分の行為の一つ一つが、いったいどのような人々に、どのような影響を与えていったのかということが、生前は全く見ず知らずの人々についてさえ、相手の感じ方、つまり喜びや驚き、あるいは苦痛や悲しみに関してまで、わりとはっきりと感じられるようになることがあります。
それゆえ、そうした軍需産業で働いていた多くの人々は亡くなった後、わりと短期間のうちに再び地上の世界に生まれ変わってくることが多いのですが、そうすると今度は、表向きはともかくとして、その人の潜在意識下においては、結構頑固な平和主義者というか、「できれば絶対に人殺しや人を傷つけるようなことは嫌だ」というような強い信念を持って、いろいろな仕事に関わりながら生活していることが多いので、その結果、これはとても不思議な話なのですが、そうした、かつて前世で軍需産業で働いていた多くの人々が、特に戦後、大挙して生まれ変わってくると、「正当な軍事力の行使はある程度、仕方がない」というような表向きの主張はともかくとして、本当の心の中の本音としては、基本的にかなり頑(かたく)なな平和主義者として一生を送るようになったり、あるいは、そうした軍需産業的とは全然正反対の仕事、例えば、多くの人々の役に立つような農作物や工業製品を作ったり、多くの人々を心から悦ばせるようなサービスを提供したりするような仕事をかなり精力的に行うようになっていった結果、特に20世紀の後半の人類の平和と繁栄が実現できていったようなところがあったということです。
Cecye(セスィエ)
2012年8月29日 9:02 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 歴史 / 軍事