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Q&A 宇宙の創造主の波動がわかるようになるには、どうすればよいのか? Part 2

3、真理を求める者は、いつか霊的な光の体験にたどり着くことが多いが、霊的な光の体験のみに甘んじていると、光の魔物の試練に負けて、道を誤ることがあるので、注意が必要である

 第三には、これは別の話になるのですが、この宇宙には、「光の試練」と呼ばれるものがあって、簡単に言うと、「真理を求める者は、いつか必ず光の関門にたどり着くことができるが、次には、その光への誘惑を捨てて、暗闇の中の真理を得なければ、本当に真理にたどりつくことができない」というような内容になります。

 何のことなのかというと、要するに霊的な真理を求めてゆくと、必ず、どこかの段階で、霊的な光を感じて、そこで、それなりの至福や達成を得られるものなのですが、ただ、そうした光の体験のみで満足していると、そうした光の中に潜んでいる光の魔物の試練に負けて、霊的に道を誤ることがあるので、注意が必要であるということです。

 それでは、その光の魔物とは何なのかというと、これは、この地球では、まだ、はっきりとは理解されていないのですが、この宇宙には、ものすごい霊的な光を発しながら、さまざまなそれらしい説法をしたり、奇跡を起こしたりしては、多くの人々を惑わす偽創造主、あるいは、偽キリストのような存在がいるので、それに対する非常に強い注意が必要であるということなのです。

 それでは、その光の魔物の試練に打ち克つには、いったいどうすればよいのかというと、方法はわりと簡単で、要するに、そうした光の誘惑に負けずに本物の真理というものを、どこまでも求め続けてゆけばよいということなのです。

 それには、どうすればよいのかというと、大きくは二つのことがあって、一つめは、物質の世界であっても、霊界であっても、結局、光なんて、ただの照明の一種に過ぎないと単純に割り切って、あまりそうした光自体を神聖視するような物の見方は、極力、控えることが大切であるということです。

 もう一つは、そう簡単に自分の知性や理性を、すべて投げ出すようなことはせずに、人間としての単純な基本、つまり、愛情をもって、身近な人々と親しい楽しい人間関係を築いてゆくことや、単なる他人の言葉の受け売りではなく、自分自身が、「本当に心の底からわかった、理解できた」というような本当の知恵を大切にしてゆくことと、それから、人間の心の中に忍び込んでくる最も大きな魔、つまり、大した理由もないのに、ほぼ反射的に「嫌になる」とか、「考えたくなくなる」とか、「逃げ出したくなる」とか、「すがりたくなる」というような心の中の「無」の魔に打ち克つことが、とても大切になるということです。

 要するに、この心の中の「無」の魔とは、光のように目に見える存在ではないために、時折、自分自身の心の中の動きを見つめ直さなくてはいけないということを意味しているのですが、それゆえ、そうした目に見えない暗闇の中でも、自分自身の心の動きを、静かに見つめられるような心の鍛錬が必要であるというような意味で、こうした自分の心の中の内面の真理のことを、光の真理との対比から、「暗闇の中の真理」という言葉で表しているのです。

 このように真理を求める者には、いつか霊的な光が臨み、その者を照らす光となるのだが、ただ、そうした光の体験に甘んじずに、そうした光を越えた自らの心の奥の真実、すなわち、暗闇の中の真実に正しく気付かない者は、それ以上の霊的な達成を得ることはできない、というような非常に厳しいところがあるということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年7月11日 9:04 PM, Q&A  / スピリチュアリズム、霊界 / 仏教 / 宗教、道徳 / 瞑想



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