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イエスについて Part 2

2、少し前までのキリスト教では、あまりにも強く、疑うことの怖さや、信じることの重要性を強調しすぎたために、実際問題として、キリスト教信者が、死後の世界に赴くと、導きの天使の話に、全然、従わずに、本当の天国ではない、低次元の疑似天国や幽界や、疑似地獄のような世界に、何十年も、何百年も、そのまま、ずっと留まり続けるようなケースが、非常に多かった

 第二には、これは、少し言いづらい話になるのですが、キリスト教には、根本的な問題点があって、それというのは、キリスト教というのは、とにかく、「信じる」ということを熱烈に強調してくる宗教であったために、霊的に見た現実としては、キリスト教の信者が、亡くなった場合、すぐに霊界の天使のような存在達によって、より高次元の天国のような世界に連れて行ってもらえるようなケースは、全く問題ないのですが、ところが、その反対に、あまりにも、そうした生前の信念が強すぎるために、死後、その人の周りに、その人自身の信念の力によって、その人独自の死後の世界を強く投影してしまい、なかなか、そうした天使のような存在がやってきて、一生懸命、話しかけようとしても通じずに、そのまま何十年も、何百年も、そうした、その人独自のキリスト教的な強い想念の世界の中に留まってしまうケースが、これまでの時代には、非常に多かった、ということなのです(この辺りの霊界での混乱の話は、キリスト教圏の霊界物の話には、非常に多いですよね)。

 つまり、前にも述べたように、人間が死ぬと、死後の世界では、肉体がないために、自分の心の中の世界が、わりと、そのままストレートに実現するようになってゆくのですが、その結果、生前から、あまりにも強い死後の世界のイメージ、というか、強い信念のようなものを持っていた場合には、そうした自分自身の強い信念を投影して、周りから、やってくる霊の声など、全く聞かずに、自分独自のミニ霊界のようなものを形作って、そのまま、その中に、本当に、何十年でも、何百年でも、閉じこもってしまうような人が、これまでの時代には、非常に多かった、ということなのです。

 こうした観点から見ると、特に一昔前のキリスト教の場合、「とにかく、強い信仰を持たなくてはならない」、とか、「キリスト教以外の話は、悪魔の話なので、一切、耳を貸してはならない」、などと、一刀両断されてしまうことが、非常に多かったために、キリスト教の信者であった人々が、いざ生前の生活が終わって、死後の世界に行ってみると、天使のような存在達が、いくらやってきて、話しかけても、全然、耳を貸さない、とか、ちょっとキリスト教的でない話をすると、すぐに拒否感を出して、逃げ出そうとする、などという具合に、その人独自のキリスト教的精神の中に、どっぷり浸ったまま、そのまま、かなり長い期間に渡って、あまり高いとも、幸せとも言えないような、ちょっと薄暗い低次元の領域に、ずっと滞在し続けてしまうような事態になることが、非常に多かった、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年12月25日 9:02 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 時間と空間の秘密



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