4、現在の地球には、単純に男性とも女性とも言いがたいような「第三の性」と言ってもよいような性別の人々が、たくさん普通の男性や女性としての生活を送っている
第四には、これも、かなり言いづらい話になるのですが、実は、現在の地球には、これは、現在の地球の常識では、真っ向から否定されるような話になってくるのですが、男性とも女性とも言いがたいような、いわゆる、「第三の性」と呼ばれるような性別の人達が、結構、たくさん混ざって、まるで普通の男性や女性のような生活を送っている、ということです。
男性であっても、女性であっても、お互いに異なる性別の相手の性質を十分に理解し、伸ばせるようにならないと、霊的には、十分に成熟したとは言えないようなところがある
こうした男性なのに、女性的な性質が強い、とか、女性なのに、男性的な性質が強い人間というのは、一昔前だと、「男は、男らしく堂々と誇りを持って、力強く生きるべきだ」、とか、「女は早く結婚して、男を立てて、慎ましく細やかな気遣いを持って、しっかりと家庭を支えて、生きるべきだ」、というような男性観や女性観の強かった時代には、かなり軽蔑されたり、あるいは、いろいろな面で苦労を強いられることが多かったのではないか、と思われるのですが、それが、特にここ数十年ぐらいの間に大きく社会全体が変化してゆき、「別に女性的な性質の男性でも、全然構わないのではないか」、とか、「別に男性的な性質の女性でも構わないのではないか」、などというように多くの人々の考え方が、かなり大きく変化していった、ということなのですが、実は、これには、まだ先があって、もう少し先の未来になると、「男性であっても、女性的な性質の部分を十分に理解し、伸ばせるようにならないと、一人前の男性とは言えないのではないか」、とか、「女性であっても、男性的な性質の部分を十分に理解し、伸ばせるようにならないと、一人前の女性とは言えないのではないか」、などというように、男性であっても、女性であっても、それぞれお互いに自分の性質の足りない部分について、十分に理解できるようになり、伸ばせるようにならないと、人間の精神的な進歩としては、不十分的なのではないか、と考えられるような時代が、もうすぐそこまで来ている、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年11月20日 9:16 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観