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多数決の原理について Part 12

10、政治の世界は、普通の企業と違って、すぐに決定や決まりや組織や、やり方が硬直化しやすい性質があるので、それを予防するためには、すべての政治的決定や、憲法や法律や行政組織のあり方に関して、あらかじめ明確な期限を設けて、その期限ごとに抜本的な見直しを行うと共に、その責任者に関しても、常に明確にしておく必要がある

 第十には、これは、あまり聞かない方法になるのではないか、と思われるのですが、とにもかくにも政治の世界というのは普通の企業と違って、いったん何らかのことを正式に決めてしまうと、その後は、もうよほどのことがない限り、十年でも二十年でも、そのままの体制を維持してゆこうとすることが非常に多いのですが、たいてい、こうした政治の世界の硬直性が、そのまま政治上の失敗や、行政組織の腐敗に直結しているのではないか、と思われるので、この場合には、以下のような二つの解決策が考えられます。

 

①たとえ、どんなに大変な議論や騒動を通して決めた政治的な決定や、憲法や法律や行政組織であったとしても、よほどのものでない限りは、原則、すべて期限制にして、一定期間が過ぎたら、その内容を抜本的に見直すと共に、もし不必要であると判断された場合には、その時点で原則、廃止にする

 まず第一には、とにもかくにも、たとえ、どんなに大変な議論を通して決めた政治的な決定や、憲法や法律や、行政組織のあり方であったとしても、原則、すべて期限制にして、「この政治決定や、憲法や法律や行政組織は、○年○月までは存続させるけれども、よほどのことがない限りは、それ以降は、その時の国家の状況を見て、再度、内閣や議会で検討してみて、必要なら残すが、もし必要ないと判断した場合には、速やかに廃止するか、あるいは、その時点で必要な政治決定や、憲法や法律や行政組織に再編成し直す」というような一種の期限制のような手法に変えるというような方法があります。

 

②すべての政治的決定や、憲法や法律や行政組織について、「いったい、いつ誰が、どのような目的で、何を実現するために、それを決めたのか」ということと、「もし、それを改善、もしくは、変更する際には、いったい、どこの誰が責任を持っているのか」ということは、常に誰でも、すぐによく分かるように明確にしておく必要がある

 第二には、これは現代の日本では、たいへん大きな問題になっている内容であるのですが、とにもかくにも、そうした政治的な決定や、憲法や法律や行政組織の運営に関して、「いったい、いつ誰が、どんな目的で、どんなことを実現するために、その政治的な決定や、憲法や法律や行政組織を作ることにしたのか」ということが、極めて曖昧になっているということです。

 つまり、現在の日本の政治のシステムであると、「この政治的な決定は、当時の誰それという総理大臣が責任を持って、決めたことである」とか、「この憲法や法律は、○○党の○○という代議士が草案をまとめて、党に提案した後、さらにいろいろな人達の意見が反映させられる形で出来上がったものである」とか、あるいは、「この行政組織の最終責任者は○○という人なので、たいていのことは、その○○という人に言えば、すぐに解決します」などというような形になっておらず、その政治的決定や、憲法や法律や行政組織の中心の責任者が、いったい、どこの誰なのか、ということが、いつ誰に聞いても、何が何だか、よく分からないような形になっていることが多いので、要するにそうした無責任体制が原因で、次から次へと何だか訳の分からないような政治的な問題が出てくるようなところがあるということなのです。

 これが例えば、企業経営であると、「この決定の責任者は、あの人なので、もし問題があれば、あの人に言えば、すぐに何とかしてくれるだろう」とか、「この決まりは、人事部の○○さんが考えたものなので、○○さんに言えば、現在の状況をかんがみて、ちょっと直してもらえるのではないか」とか、「この部門の責任者は、この人なので、何かあれば、この人に聞けば、何でも分かるだろう」というようなことになっているので、要するに企業の場合は、何か問題や不具合が発生すれば、たいてい数日以内とか、遅くても数ヶ月以内ぐらいには、何らかの改善策や変更をこまめに行って、大問題になる前に未然に解決してしまうことが多いのですが、ところが、これが政治の世界だと一回決まったことは、なぜか神のご意思とでも言わんばかりの大義名分がまかり通ることになっているので、それゆえ、「この政治的な決定は、いろいろな人の利害が関わっているので、とにかく何も変えられない」とか、「この憲法や法律は、党全体で決めたことなので、何かあっても党全体で議論しないと何も進められない」とか、「この行政組織は、建物も人員も予算もあるので、仕事があろうがなかろうが、市民の助けになろうがなるまいが、とにかく、そのまま永遠に維持し続けないといけない」などというような話になって、結局、何年どころか何十年でも、そのまま問題が放ったらかしにされることになってゆき、気がつくと、「国家予算が赤字で、もうパンク寸前」とか、「どこもかしこも、いったい何の仕事をしているのかすら、よく分からないような名前だけの赤字部門がひしめいている」とか、「誰が何を言っても、何も変えられないような訳の分からない堅苦しい意味のない決まりや法律だらけの社会になっている」というような問題が、山積するような政治体制になってゆきやすいということなのです。

 それゆえ、こうした問題を解決するためには、とにもかくにも、すべての政治的な決定や、憲法や法律や行政組織の運営に関して、「いつ誰が、いったい、どのような目的で、何を実現するために決めたのか」ということを常に明確にしておくと共に、「もし、それを改善、もしくは、変更する際には、いったい誰に言えばいいのか」ということが、すぐに分かるように明確にしておくことが、とても大切なのではないか、ということです。

※もう少し具体的に言うと、法律なら、いつ誰それが中心になって、発議して決めた法律なのか、ということを明確にしておくために必ず、その法律の発議者の名前を法律の中に記入しておくことです(逆に言うと何十人、何百人、何千人も議員がいる党の名前だと、結局、無責任体制になるのでダメです)。

 そうすれば、何かあった時に、「誰に聞いても、なんで、その法律があるのか全然よく分からない」という混乱や失敗がなくなり、その法律の責任者のような人物が、おそらく、そうした法律のその後の経緯を、かなり真剣に責任を持って、監督し続けるような立場になるでしょうし、また、もしある程度、時間が過ぎて、その人が亡くなったとしても、生前のその人の考え方や行動を調べれば、「その法律が、なぜ必要だったのか」とか、「どういう変更をするべきなのか」とか、あるいは、「どういう状況になったら、もうその法律はいらないと判断できるのか」ということが、すぐに分かるようになるはずだからです。

 

人類の歴史で繰り返し起き続けた民主制の後退の歴史を何とか未然に防ぎ、末永く最大多数の最大幸福が実現できるような民主政治を維持してゆくためには、空理空論ではない地に足をつけた市民教育の実施と、政治の世界と普通の一般市民の間の境界を、できるだけなくし続けてゆくような地道な努力と活動が不可欠である

 ここでは、大きく10の方法をあげたのですが、要するに、こうした形で多くの人々が、まだ若くて、頭の柔らかいうちから民主的な政治運営というのは、どうやって行ってゆけばよいのか、ということを、できるだけ分かりやすい形で、しっかりと理解しておく必要があるということと、それと多くの人々の仕事や生活の一部に政治的な内容を取り入れて、多くの人々が、否応なく政治のことに関心を持たざるを得ないような状況にしてゆくことが、とても大切なのではないか、というように私は考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年11月19日 9:11 PM, 政治



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