昨日の「ホームスクーリング後編」の話で、もう一つ書き忘れたことがあったのですが、現在の日本では、長期不況の影響もあって、生活保護者の人数がどんどん増えていることが問題になっているのですが、それよりも、もっと問題なのは、多くの人々には、ほとんど全く気付かれないような形で、そうした生活保護者の何倍も何十倍も、また場合によっては、何百倍も何千倍もの経済的扶助を受けながら、大手を振って、贅沢三昧の生活をしている人々の問題なのではないか、ということなのです。
それは、みなさんもよくご存知の、いわゆる、あまり社会に貢献するような公共サービスに従事しているとは言えないような一部の公務員の方々の話であるのですが、それというのは、生活保護者の人々というのは、病気や失業等、何らかのやむを得ない事情で大変不幸な状況に置かれているために、何らかの公的な援助を受けて生活せざるをえなくなった人々であるのですが、現在の日本では、「そんなことしても全然、誰の役にも立ってないじゃないか」とか、「なんで、こんなやる気のない無能な人がクビにならないんだ」とか、「変な国の決まりさえなかったら、あんたみたいな下手な教師に教えてもらいたくないんだよ」とか、「みんな不便だけど仕方がないから、あなたの命令に従っているんだ」とか、「もし大学に行かなくても、ちゃんとした企業に就職できるなら、こんな退屈で無駄な授業は受けないのに・・・」とか、「よく考えてみると、なんで、たった一家族の贅沢な生活を維持するために、何百億円も使わなくちゃいけないんだ」とか、「なんで、あんたみたいな馬鹿な教師を雇うために毎年、そんな高給を、みんなの税金から出さないといけないの?」などというような形の、いわゆる大手を振って、みんなに迷惑をかけたり、訳の分からない権威や命令を押し付けてきたり、あるいは、とにかく古い形ばかりの伝統や体裁(ていさい)ばかりを維持しようとしてくるような、はっきり言うと、単に無駄で意味がないというよりも、たくさんの人々の仕事や生活に、いろいろと不便や不幸を強いるようなことを日夜行いながら、ものすごい大金の給与や現物の生活保護を受けているような人々が、現在の日本には、結構たくさんいるということなのです(一生懸命、ちゃんと公共サービスを行っている人もいるので、私は全部の公務員が、そうとは決して言いませんが・・・。でも、あれって、よく考えてみると生活保護と一緒ですよね)。
つまり、現在の公立大学の問題を突き詰めると、病気や失業等で仕方なく生活保護を受けている人々とは、全く次元の違うような問題、つまり本来、その人がやらなくてもいいような仕事や役割を担っていて、その上、多くの人々を物質的、精神的に縛ったり、不幸を強いるために日夜、一生懸命働いているような人々に対する、大金をふんだんに使った合法的な「大生活保護」の実態が浮かび上がってくるのですが、私は、せいぜい毎月、最低限の金銭しか受け取っていない生活保護者の人々の増加よりも、こちらの方が、よっぽど大問題なのではないか、というように感じているのです。
Cecye(セスィエ)