3、多くの人々の単純な予想とはかなり違って、「守護霊」とは、その存在を信じる人には、かなりの現実味と親近感をもって、その存在が感じられるが、その反対に、その存在を信じない人には、その現実味も親近感も全く感じられないような非常に不思議な奇妙極まりない存在である
第三には、さて、それでは、「守護霊」とは、いったい、何なのか、ということについて、考えてみたいと思うのですが、これは、私の素直な感想なのですが、おそらく、この「守護霊」と呼ばれる霊的な存在というのは、それを信じる人には、まるで絶対にいるように感じられるだろうし、その反対に、それを信じない人には、まるで全く絶対にいないようにしか感じられない、というような、非常に不思議な奇妙極まりない存在であるということに尽きている、というのが、おそらく、最終的な結論になるのではないか、ということです。
実際、霊的なことに興味のある人達にとっては、もう毎日のように、「守護霊様、守護霊様」、などと語りかけているようなので、おそらく、こうした人々は、今日も、そうした守護霊の存在を、かなりの現実味と親近感をもって、感じているのではないか、と思われるのですが、その反対に、そうした守護霊の存在なんて全然信じない人達にとっては、「いったい、どこに守護霊なんているんだ」、とか、「そんなもの全然、身近に感じたこともない」、などというように、はっきり言って、全くその現実味も親近感も感じられない、というような、かなり冷淡な感覚を持っているのではないか、ということなのです。
つまり、一方の守護霊肯定派の立場の人々から見ると、「守護霊がいるのは、絶対に当たり前だ」、とか、「いつも守護霊から守られていることを、その身をもって、実感している」、ということになるのですが、その反対に、守護霊否定派の立場の人々から見ると、「守護霊の存在なんて全然、感じたこともない」、とか、「守護霊に守ってもらっている感覚なんて全然、感じられない」、などというように、この両者の主張、というか、両者の感覚の違いというのは、本当にかなり極端にはっきりと分かれてくるようなところがある、ということなのです。
それでは、結論は、いったい、どうなのか、というと、これは、非常に面白い霊的な見方になるのですが、「守護霊の存在を信じる」、という人々は、おそらく、かなりの確率で、そうした守護霊の存在や、その守護を感じられるようになると思われるのですが、ところが、そうした人々であっても、何らかの機会に、そうした守護霊の存在を信じなくなってしまうと、もう途端に、そうした守護霊の存在も、また、その守護も全く感じられなくなる、というような非常に不思議な現象が起こるようなのです。
その反対に、「守護霊の存在を信じない」、という人々は、そうした姿勢を持っている間は、そうした守護霊の存在も、その守護も全く感じられないことが多いのですが、ところが、何らかの機会に、そうした人々が、守護霊の存在を信じるようになると、なぜか途端に、そうした守護霊の存在や、その守護を感じるようになる、というような非常に不思議な現象が起こるようなのです。
つまり、これは、霊の世界の不思議としか全く言いようがないのですが、実は、多くの人々の予想とはかなり違って、この「守護霊」と呼ばれる霊的存在が、本当にいるのか、いないのか、というのは、それぞれの人が、それを信じて、受け入れている間は、確かにいるように感じられるけれども、その反対に、それぞれの人が、それを否定して、受け入れなくなると全くいないように感じられるようになる、などというように非常に不思議な奇妙極まりない存在が、よく巷で言われているような「守護霊」と呼ばれる霊存在なのではないか、というのが、私の率直な結論なのです。
Cecye(セスィエ)
2011年9月21日 9:16 PM, Q&A / スピリチュアリズム、霊界