電流にしても、電波にしても、たとえ、いくら波形が上下に動いたとしても、それによって電流や電波自体がなくなったり、増えたり減ったりしているわけではないので、当然、そうした電流や電波にも、0の存在も―の存在はあり得ないことになる
それでは、みなさんの家庭で使われている(交流)電流は、どうなのか、というと、これも、いっけんゼロを中心にプラスになったり、マイナスになったりするような電気が流れているような錯覚がするのですが、ところが、これもよく考えてみると、何のことはない、そうした導線の中には、常に電気は、いっぱいに満たされていて、それが水中の波のように、せいぜい上りの方向に流れているか、それとも下りの方向に流れているかということを、電気的にプラスか、マイナスかということで表しているだけなので、この場合も、実は電気自体としては、別になくなったわけでもなければ、減っているわけでもない、ということなのです(電磁石のSとNの入れ替わりも、基本的には全く同じです)。
次には、こうした電流が、上りの方向に流れているか、下りの方向に流れているか、ということの応用として、実は、光や電波や放射線のような電磁波のエネルギーがあげられるのですが、これは専門的で、ちょっと難しいのですが、原理的には、光や電波や放射線のような電磁波のプラスや0やマイナスに関しても、今述べたような電流が、上りの方向に流れているか、下りの方向に流れているか、ということの応用に当たるので、たとえ、そうした電波の波形に、いっけんプラスや0やマイナスのように見える部分があったとしても、それは言ってみれば、電磁波のエネルギーが右向きに揺れているか、左向きに揺れているか、というような単なるエネルギーの流れの向きの問題に過ぎないようなところがあるので、当然のことながら、本当は電波や光や放射線のような電磁波に関しても、ゼロの存在もなければ、マイナスの存在もない、ということなのです。
水面の波も、空気中の音も、地面の振動も、はたまた電流や電波に関しても、たとえ、それらの波形が上下や前後左右に動いたとしても、別にそれらの存在自体がなくなったわけでもなければ、増えたり減ったりしたわけでもないので、本当は便宜上、もしくは実用上、単に0や―の表示を使っているに過ぎないのである
少し説明が難しかったところもあったのではないか、と思うのですが、要するに水中の波にしても、空気中の音にしても、地面の振動にしても、電流や、光や電波や放射線のような電磁波にしても、いっけん、あの波形のグラフを見ると、何となく、「0を中心にして、プラスの世界とマイナスの世界があるのかな」などと考えてしまいがちであるのですが、ところが、よくよく冷静に考え直してみると、そうした波というのは、水や空気といった、より大きな何らかの媒体の中で揺れ動いている、単なる動きに過ぎないようなところがあるので、本当は0の存在もなければ、―の存在もないということなのです。
つまり科学的には、0や―の存在というのは、常に単なる仮定上の存在に過ぎないようなところがあるのであって、本当の科学の立場としては、ゼロの存在も認めていなければ、マイナスの存在も認めていないというのが、本当の立場であったということなのです。
このように現代の地球で、多くの人々が科学を学ぶと、よく0や―の存在が、まるで当たり前のように存在するかのような錯覚をしてゆくことが多いのですが、本当は、これは間違っていて、科学的に見た場合、ゼロの存在やエネルギーというのは、せいぜい単なる仮定に過ぎなくて、実際には、単に「そこには、何の存在もエネルギーもない」ということであるし、またマイナスの存在やエネルギーというのも、やはり同じように実際には全く存在していなくて、それらは単に便宜上、もしくは実用上の理由から、せいぜい何らかの基準を「0」とした場合に右向きを「+」、左向きを「―」表示で表しているに過ぎないという程度の内容であったということなのです。
※現在の地球の科学であると、宇宙は真空で、そうした真空中でも電磁波は進むことになっているのですが、これは現在の科学でもよく調べれば、すぐに分かるはずなのではないか、と私は思うのですが、本当に宇宙が真空だと地球や太陽は、理論的に存在できなくなるはずなので、宇宙科学的には、間違っていることになります。
ちなみに外宇宙の科学では、すべての宇宙空間は、非常に精妙な波動の「エーテル」のようなエネルギーに満たされていると言われていて、それを応用した宇宙的な波動科学によって、時々、地球で目撃される、あのUFOのような重力に逆らって飛ぶ宇宙船を動かしています。
なお、ブラックホールに関しては、この宇宙にある物質を、何もない空間に吸い込んでゆくのではなくて、前にも少し述べましたが、基本的には、より低次元の世界に引き込んでしまうことになるのですが、結局、そこの世界では、しっかり存在していることになるので、やはり無の存在ではない、ということになっているようです。
Cecye(セスィエ)