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現代のような民主主義全盛の時代には、大部分の宗教は、人間の自由性を著しく制限する点において、だんだん時代遅れの存在になってゆきつつある Part 7

 ここで、もう一度、前回まで述べてきた内容を整理し直してみると、

1、昔の宗教が約束していた「神の国」や「天国」や「極楽浄土」での理想の幸福な生活は、現代では、もうすでにほとんど実現されてしまったために、実質的に現代は、だんだん「宗教大衰退時代」、もしくは「宗教不必要時代」に突入してゆきつつある。

2、昔の世の中では、街や村の中心にある寺院や教会は、物質的にも精神的にも、多くの人々の心の拠り所や楽しみの中心としての重要な役割を果たしていたが、近現代になると、そうした宗教の果たしていた役割は、政府や企業や個人や共同体の仕事に、だんだん取って代わられるようになっていった。

3、ここ数千年の間、人類の社会では、多くの人々の快楽欲求を、いかにして制限してゆくか、ということが、ずっと模索され続けてきたが、近現代に入ると打って変わって、多くの人々の快楽欲求を、いかにして、より合理的な形で満足させ、充足させてゆくか、というような方向に人類の文明は大きく方向転換してゆくことになった。

4、多くの人々が、より幸福で楽しい生活をするためには、いったい何を自由に行動し、いったい何を我慢すればいいのか、ということを権力者の側からでなく、多くの人々の心の内面の良心や罪悪感の働きによって、あまり社会的に問題が起きないように、うまく制限してもらえるように考案され、工夫されてきたのが、現在残っている宗教のそもそもの起源だったのではないか。

 というような内容を述べてきたのですが、こうした観点から考えてみると、古代や中世のように多くの人々が、ほとんど大した自由も持たず、また物質的にも非常に貧しかった時代であれば、そうした宗教が社会の中で、あるいは、人々の心の中で非常に重要な役割を果たしていたということも、ある程度分からないでもないのですが、ところが近現代以降、市民革命や国家の近代化によって、多くの人々が非常に大きな自由を手に入れ、また科学や経済の発達で、物質的にも、ものすごく豊かな生活が可能になった時代には、はっきり言って、だんだん、かなり時代遅れの存在になってゆきつつあるのではないか、ということなのです。

 

一昔前のような王制や貴族制の時代と違って、現代のような民主主義全盛の時代には、大部分の宗教は、多くの人々の人間としての自由性を著しく制限する点において、だんだん時代遅れの存在になってゆきつつある

 こうした点から考える限り、私は、特に現代残っている宗教に関しては、次のような四つの点については、もうほぼ完全に時代遅れ、というよりも、あまりにも本来の人間性を抑圧しているという点において、かなり問題があるのではないか、と考えております。

 まず第一には、宗教的な戒律や教義によって、多くの人々の心からの本音の発言や本音の欲求を、何でもかんでも機械的に抑圧してしまうことが多いので、その結果、たとえ制度的には民主主義国になっていたとしても、現実の実態としては、すぐに言論の自由や政治活動の自由が踏みにじられたままの、実質的な独裁制や王制や貴族制の社会になってゆきがちであるということです。

 第二には、「信仰」、「神聖」、「伝統」、「秩序」といった、きれいごとの美辞麗句の言葉によって、多くの人々の心からの悦びの獲得や表現を封印してしまうようなところがあるので、本当は多くの人々が心からの悦びを感じていないにも関わらず、あたかも自分が幸福であるかのごとく錯覚させてしまうような偽物の幸福を強いるようなところがあるということです。

 第三には、宗教心の強い社会では、多くの人々の個人的な幸福が抑圧されて、あたかもそうした宗教を中心とした国家や社会(組織)全体の何らかの目標の実現のようなことを、多くの人々が、何となく、あたかも自分達自身の幸福であるかのように錯覚してしまうことが多いということです。

 そして第四には、宗教心の強い社会では、多くの人々の本当の心からの幸福よりも、なぜかその国家や社会の伝統や秩序の維持の方が、ずっと大切であるかのような錯覚を持ちやすいので、その結果、そうした国家や社会の伝統や秩序の維持は、ある程度しっかり出来ているけれども、肝心要のその社会の多くの人々の幸福感の享受、つまり、「みんなが、本当に心からの幸せを感じているかどうか」という点では、何となく、いつもなおざりにされるような不幸の蔓延した社会になってゆきやすいということです。

 こうした点から考えてみるに、私は、現在の地球の大部分の宗教というのは、一昔前のような王制や貴族制の時代であれば、まだともかくとして、現代のような民主主義全盛の時代には、現実の実態として、かなり時代遅れ、というよりも、もっとはっきり言うと多くの人々の人間性、というか、自由性を不当に制限するような内容が、あまりにも多過ぎるという点において、実際、かなり問題があるのではないか、というように考えているのです。

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月18日 9:26 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 社会、文化



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