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たとえ高次元の光の存在達であっても、高次元世界にいるだけで、基本的には、地球の普通の人間と大して変わりないので、彼らへの過度の期待や盲信や依存は、百害あって一利なしである Part 3

たとえ高次元の光の存在達であったとしても、彼らの声を聞かずに、一方的に願い事や癒しや救済のようなものばかり求めるような宗教的態度をとっていると、いつの間にか、とんでもない宗教詐欺師のような人物に騙されることがあるので、これには非常に厳しい細心の注意が必要である

 さて、再び話を戻して、先ほどの現代の社会で活躍している警察や軍隊や医者や教師の例を用いて、もう少し話を続けてみたいのですが、もし、ここにとんでもない詐欺師のような人物がいて、そうした警察や軍隊や医者や教師のような人々が一生懸命、みんなの役に立とうと思って、働いているのをいいことにして、そこに立派な神社仏閣のような舞台装置を準備した上で、自分は、いかにも尊い神仏の使いであるかのような、それらしい格好をして、次のようなことを言い出したとしたら、いったいどうなるのか、ということなのです。

 おそらく、そうした、いかにも尊い神仏の使いのような格好をした人物は、こんな話を始めるはずです。

 「みなさん、彼らは、本当の神仏や天使のような偉大な存在なので、これからは、彼らのことを心から崇めて祈り、彼らへの従順な奉仕と修行を忘れないでください。そうすれば、あなた方には、彼らから、さらに素晴らしい福徳が届けられるでしょう」。

 それから続いて、こうした福音みたいな話が告げられます。

 「それから彼らは心から、みなさんを救い、導くことだけしか考えていない存在なので、日夜、いつでも困った時には、彼らの名前を呼んで、彼らからの救いと導きを心から祈ってください」、「そして、もし自分が何か過ちをした場合には、何も迷うこともなく、彼らを全面信頼して、彼らにそのすべての罪と穢(けが)れを押し付けてください。そうすれば、彼らは、あなた方のすべての罪も穢れも、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく引き受けてくれるので、それ以降、みなさんは、心からさっぱりと清々しい気持ちで生きてゆくことができるでしょう」、「それから何か、みなさんの願い事があったら、彼らに言えば、何でも叶えてくれるはずです」。

 さらにそうした詐欺師のような人物は、続けて、こんなことを言ってくるのです。

 「ただし、みなさん、これは、くれぐれも内密でお願いしたいのですが、その天使の人達とは一切口をきかずに、私の話だけを聞いて信じてください」、「それから絶対に、この話を疑ってはいけません。少しでも疑うと悪魔がやってきて、みなさんは、とんでもない目に遭うので気をつけてください」、「それから彼らが、何か話そうとした時には、彼らの方を向いたまま、彼らの声が聞こえなくなるくらいの、とにかく強い強い信念を持って、お祈りや経文の言葉を、何も考えずに繰り返し繰り返し、熱心に唱え続けてください」、「こうすれば、みなさんは死んだ後にも、彼らがたくさんいる天国の世界に行けるんです」。

 もちろん、これは一つの喩え話になるのですが、もし、そうした警察や軍隊や医者や教師のような仕事をする人々がいるのをいいことに、こうした話をして、多くの人々から金品を巻き上げたり、多くの人々を自分の言う通りに操ろうとする詐欺師のような人物がいたら、いったいどうなるのか、ということが、ここで伝えたいことなのです。

 つまり「霊界」とも「高次元世界」とも呼ばれる世界には、現在の地球人には、目に見えない形で人間や動植物を愛情深く見守り、導いている、まるで神仏や天使のような存在がいるのは、確かに事実ではあるのですが、そうした光の存在達が、地上の人々から目に見えないのをいいことにして、この地上の世界において、お金や権力のある人達が、さまざまな手段を使って、そうした霊的な存在達の働きだけをさもうまく、まるで自分達自身の力や功績であるかのように見せかけて、多くの人々に対して、自分勝手な決まりを作ったり、強引な命令をしたり、訳の分からない厳しい教えを説いたりして、それによって高額の金品を巻き上げたり、多くの人々の信用や奉仕を受け続けるような立場につくようなことになったら、いったい世の中は、どうなってしまうのか、ということが、ここで言いたい趣旨になってくるのです。

 ですから、こうした観点から見る限り、多くの人々の単純な思い込みとはかなり違って、高次元の光の存在達であっても、はっきり言って、現代社会の警察や軍隊や医者や教師のような人々の仕事と、霊的に見るとほとんど大差ないようなところがあるので、いくら彼らが、地上の世界の人々から見て、ものすごい愛や知恵やパワーを持っている存在達のように見えたとしても、単純に「彼らの名前を呼んで、何でも頼めばいい」とか、「彼らとのコミュニケーションなど一切取らずに、ひたすら祈りや経文の文章を声に出して読み上げればいい」とか、「彼らの都合なんて一切考えずに、ひたすら彼らの救いと癒しを待てばいい」とか、「困ったときの神頼みとばかりに自分の罪や穢れは、何でもかんでも彼らに押し付けてしまえばいい」とか、「神仏は、どんな願い事でも叶えられる存在のはずなので、とにかく神社に行ったら、大きな願い事をしよう」などというような感覚を、小さな子供の頃から育みがちな現在の地球の大部分の宗教というのは、彼らの目から見ると、本当に未開の原始人の悪魔教のように見られることが、実際、非常に多かったのです。

 

たとえ相手が、神仏や天使のような存在であったとしても、彼らを特別に持ち上げて崇めるのではなく、かといって尊大な気分になって見下すのでもなく、できるだけ自分自身が穏やかで精妙で平安な心境になって、彼らの直接の声を聞くための努力を、多くの地球人も、もうそろそろ始めてもよいのではないだろうか

 それゆえ私は、これまで何回も述べてきたように、もし、そうした高次元の光の存在達と交流したいのであれば、少なくとも彼らを、自分達人間とは全く違った全知全能の偉大な存在であるとか、すべての罪を清めてくれる偉大な救世主であるというような強い先入観や信念を持っていると、いつまで経っても、そうした高次元の光の存在達との精神的な交流を行うことができないので、もう少し落ち着いて、彼らを「神よ」、「仏陀よ」、「天使よ」などといって、ことさら特別に持ち上げて崇めるのでもなければ、だからと言って、自分が尊大な気分になって見下すのでもなく、できるだけ穏やかで精妙で平安な心境になって、彼らの直接の声を聞くような努力を、多くの人々が、もうそろそろ始めてもよいのではないか、というように率直に感じております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月9日 9:27 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳



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