少し前に、創造主の光と一体になる瞑想法について、書いたら、それでは、創造主の光というのは、一体、どんなイメージが適切なのか、という質問が来たので、それについて、現在の段階で、お話しできる範囲で、お答えしたいと思います。
Q&A 創造主の光について
まず最初に、創造主というのは、別に単なる光ではなく、人間のような個性と姿形のある存在であるので、それゆえ、人間的で、暖かみのある、穏やかで、優しい、愛に満ちた光をイメージするのが、よいと思います。
逆に言うと、単なる太陽の光や、電球の光のような、あまりにも無機的で、非人間的な光をイメージしてしまうと、あまり良くない世界に通じてしまうことがあるので、少し注意が必要になります。
実は、この問題の根は、とても深くて、人類の歴史を見てみると、太陽の光や火の光を拝むべきなのか、それとも、人間的な個性や姿形を持った神仏のような存在を信仰すべきなのか、ということが、何度も何度も、宗教的な議論のテーマに持ち上がったような形跡が見られます。
ところが、太陽の光にしても、火の光(現代だと、単なる電球とか、省エネのLED照明でしょうか?)にしても、結局、単なる物質的な光に過ぎないので、これを神の象徴にしていると、だんだん、そうした宗教というのは、無機的、というか、機械的、もしくは、非人間的になって、おかしくなってゆくようなところがあるのです。
それでは、人間的な個性や姿形をもった神だとどうか、というと、今度は、いろいろな理由をつけては、地上の人間が、そうした神仏の代行をするようになってゆくことが多いのですが、これが、確率的に見ると、あまり良い人が多かったことがない、というような、結構、切実な問題があったのです。
それゆえ、現在の段階では、波動を精妙にして、創造主の光に合わせる、ということを、私は、基本的に推奨するのですが、そうした創造主の光は、決して、単なる無機的、非人間的な光ではない、ということを、ここでは、再確認しておきたいと思います。
Cecye(セスィエ)