時々、高次元宇宙の高度な文明における「信仰」のあり方についての説明が出てくることがあるので、今回から、そうした高次元宇宙では、一体、どのような形の信仰形態になっているのか、ということについて、簡単に述べてみたいと思います。
1、宇宙的な信仰においては、地球の宗教のように、「とにかく信じる」、とか、「ものすごく崇める」、というような価値観は、全くとられておらず、この宇宙の創造主と共に、自分自身も、また、できるだけ多くの人々や生命達も一緒に、できるだけ最高に幸福な世界を創造し、維持してゆこう、というような考え方になっている
まず第一には、高次元宇宙における信仰形態においては、現在の地球のように、何か、ものすごい目に見えない存在を、盛んに仰ぎ立てたり、あるいは、盛んに崇拝するようなスタイルは、原則、一切、とられていない、ということです。
ですから、高次元宇宙では、現在の地球の宗教のように、「何だか、よく分からないけれども、とにかく、熱心に信じ抜くことが、大切なのだ」、とか、「人間と比べて、神や仏というのは、もう全く比べ物にならないほど、ものすごいものなのだ」、というような概念というのは、基本的に全くない、ということなのです。
それでは、一体、どのような信仰観を持っているのか、というと、これは、現在の地球人の感覚だと、まだ、なかなか、うまく理解を得られるような説明をするのが、非常に難しい概念になってくるのですが、簡単に要約すると、この宇宙には、この宇宙を創造された、本当に偉大な創造主のような光の存在がいるので、その方の基本的な考え方に従って、そうした創造主と共に、自分自身も、また、できるだけ多くの人々や生き物達も、最大限に幸福な世界を創造し、維持してゆこう、というような考え方になっています。
これを、もう一度、現代の地球人の感覚で言い直すと、ものすごく慈悲深く、知恵深く、偉大な、まるで神のような存在の下で、多くの人々や生き物達が、非常に自由で、民主的な環境において、みんなで一つになって、最高に幸福な世界を作り上げてゆこう、というような考え方になっている、ということです。
2、宇宙的な信仰においては、地球の宗教や学校のようなグルや教師のような存在が全くおらず、どんなに霊的に優れたマスターのような存在であったとしても、昔からの親しい友人や恋人のような愛情溢れる態度で接してくれることが、非常に多い
第二には、これは、現代の地球人には、かなり理解しづらいのではないか、と思われるのですが、実は、宇宙的な信仰においては、よく地球の宗教や学校で、絶対に必要とされているような、いわゆる、「グル」や「教師」を呼ばれるような存在が、基本的に全くいない、ということなのです。
これは、一体、どういう意味なのか、というと、そうした宇宙的な信仰においては、基本的に、すべての存在が、もともと完全に平等な存在である、というように考えられているので、それゆえ、たとえ、誰かが、何らかのことを、他の人々や他の生き物達に教えるような立場に立ったとしても、それは、基本的に、たまたま、一時的に、そうした役割が必要とされたので、そうした立場に立ったに過ぎない、というような見方をされることが多いので、基本的には、どんなに霊的に優れた存在であったとしても、あまり仰ぎ立てて、ものすごいグルや先生扱いしたり、あるいは、そうした存在に対して、自分自身を蔑んで、ペコペコと頭を下げるような態度というのは、ほとんど、とられていない、ということなのです。
それでは、この宇宙では、よく宗教で出てくるような、グルや指導者に当たるような、ものすごい霊的なマスターのような存在は、本当に、全然、いないのか、というと、確かに地球でも、少しは知られているような、ものすごい偉大な霊的なマスターのような存在もいないこともないのですが、ただ、そうした存在であっても、これは、実際に会ってみると、よく分かるのですが、地球の宗教や学校のように、いちいち、恭(うやうや)しく頭を下げて、ガチガチに硬くなって、対応しなくてはならないような存在というのは、はっきり言って、ほとんど皆無である、ということなのです。
つまり、そうした偉大な霊的なマスターのような存在であったとしても、何らかの特別なイニシエーションを授ける、とか、何らかの特別な儀式のようなものを行う、というような、よほどの特別な機会でもなければ、基本的には、どの人であっても、まるで昔からの旧知の仲であったかのように、非常に親しく、平等に愛情をもって、ごくごく普通の友人や恋人のように接してくれることが、非常に多い、ということなのです。
Cecye(セスィエ)