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光の勢力と闇の勢力の「光」と「闇」という言葉は、単なる象徴に過ぎないので、実際の光と闇とは、本当はあまり関係ない Part 1

 これは本当は、もっと早い段階である程度、詳しく書かなくてはならないような内容だったと思うのですが、現在の宗教やスピリチュアリズムの解説の様子を見ていると、どうも「光の勢力」と「闇の勢力」についての説明が、少し違っているのではないか、と思われる部分が多々あるので、今回から何回かに渡って、こうした「光の勢力」と「闇の勢力」についての大まかな説明をしてゆきたい、と思います。

 

光の勢力や闇の勢力の「光」と「闇」という言葉は、単なる象徴に過ぎないので、実際の光と闇とは、本当はあまり関係ない

 まず最初に、これはくれぐれも、よく注意して理解しておいていただきたいのですが、この「光の勢力」と「闇の勢力」という言葉の「光」と「闇」というのは、決して「明るい人々の集まり」と「暗い人々の集まり」というような意味ではなく、この場合の「光」と「闇」というのは、あくまで単なるイメージというか、一種の象徴に過ぎないようなところがあるので、それゆえ明るい積極的なことを言ったり、やったりしている人達が、みんな光の勢力であるとか、暗い消極的なことを言ったり、やったりしている人達が、みんな暗闇の勢力であるというようなことは、絶対にないということです。

 地球の宗教では、この光と闇についての理解が、実際、かなり混乱しているように見受けられるところがあるので、多くの人々が、今述べたような形で、明るい積極的な人々が「光の勢力」で、暗い消極的な人々が「闇の勢力」というような非常に単純な物の見方をすることに関して、私もある程度、理解できないでもないのですが、ただ実際には、次のような二つの理由から、こうした認識は、ほぼ完全に間違いであるということなのです。

 

1、世の中は、単に明るく積極的であれば、成功できるというほど甘いものではなく、実際には、たとえ高い理想の実現のためであっても、地に足をつけた地道な調査や実験や深い思索のような、かなり用心深いネガティブな要素も必要になってくる

 まず第一には、これは政治や経済のことをある程度、深く勉強したような方なら誰でも分かるのではないか、と思われるような内容なのですが、現在までの地球の歴史における優れたリーダーの特質というものを見てみると、単純に「明るく積極的であればいいのだ」というような政治家や経営者で、立派な業績を上げたような人なんて、はっきり言って、一人もいないし、実際には、そうした単純な精神性の人では、立派な業績を上げるどころか、外国や政敵に欺かれたり、会社の経営を危うくして、大失敗しているような人が、ほとんどすべてであるということです。

 その反対に、これはそうした精神論が大好きな人にとっては、本当に皮肉としか言いようがないのですが、基本的には、ポジティブな性格でも、少しネクラで用心深く、よく考えてから行動するようなタイプの指導者の方が、多くの人々の人気はともかくとして、政治家や経営者としては、成功している人が遥かに多いというのが、実際の現実なのではないか、ということなのです。

 ですから、その人の本音の部分において、「できるだけ多くの人々を愛し、良い社会を築いてゆきたい」というような良い動機があったとしても、その実現のためには、「いつでも明るく積極的に振る舞えば、棚からぼたもち的に大成功するはずだ」なんて発想は、現実の社会では、すぐに粉々に吹き飛んでしまい、実際には、いくら動機の部分が良いとしても、そうした素晴らしい理想の実現のためには、単に大胆に積極的に行動するだけではなく、それ以外に、こと細かな調査や実験や、あるいは深い思索のようなものも、その理想が高ければ高いほど、また、その理想への情熱が深ければ深いほど、どうしても非常に重要な要素になってくるということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年4月5日 9:32 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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