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宗教も国家も社会も会社も団体も、はたまた身近な家族や友人関係も、結局、単なる人間集団に過ぎない Part 2

4、どの人間集団も、しばらく時間が経つと、本来の目的や課題の達成よりも、その組織自体の維持や拡大の方に、その人間集団の目的や課題がすり替わってしまうことが多いので注意が必要である

 第四には、これは少しややこしい話になるのですが、この地球の歴史におけるいろいろな人間集団の特性を見てゆくと、たとえ何らかの目的や課題の実現のために、そうした人間集団を形成したとしても、しばらく時間が経つと、そうした何らかの目標や課題の実現なんてことはもうどうでも良くなってゆき、そうではなく、そうした人間集団の維持や拡大の方こそが、そうした人間集団の最大の目的にすり替わってしまうことがよくあったということなのです。

 どこの国の社会でも、その本当の理由は、たいてい、いろいろな理由でもみ消されて、うやむやにされてしまうことが非常に多いのですが、私が、これまでいろいろ実社会を見聞きしてきた体験から率直に判断する限り、その本当の理由は、たいてい次の二つに要約されます。

 

①何らかの人間集団の縮小や解体は、それは即、そこで働く人々の失業を意味しているケースが多いので、その結果、どの人間集団もいろいろな口実を設けては、その組織の延命をはかることが非常に多かった

 まず第一には、これは当然のことですが、そうした人間集団に属することによって、非常に豊かで安定した給料や待遇を得ていた人々にとって、そうした人間集団がなくなることは、それはとりもなおさず自分達の仕事がなくなり、失業することを意味しているので、表向きの建前はともかくとして、要は本音の部分としては、できれば何としても、そうした自分達の仕事がなくなり失業して、自分や家族が路頭に迷うような事態になることは、絶対に避けたかったということです。

 ところが、そうした本音の部分を言ってしまうと、現代の社会だと、「なんだ、お前達ばかり甘い汁を吸いやがって」とか、「他の人達の負担も考えろ」などとばかりに、一方的に批判の目を向けられることが非常に多かったので、それゆえ、そうした本音の部分はできるだけ、あまり表に出さないような形で、いろいろな大義名分の口実を設けたり、あるいは、いろいろな秘密工作を計ったりして、多くの人々の目をうまく欺いては、なし崩し的に何とか、そうした組織の延命を図ろうとすることが非常に多かったということです。

 

②特に小規模の人間集団においては、いつの間にか多くの人々と完全に利害が対立するような反社会的な秘密の利益共同体のような活動形態に、だんだん実質的にその中身がすり替わってしまうことが非常に多かった

 第二には、これはあまり口に出されることが少ないのですが、そうした人間集団に属する人々というのは、特にその人間集団の規模が小さい場合には、はっきり言うと、その人間集団以外の多くの普通の人々の不利益や不幸なんて、だんだんどうでも良くなってきて、とにかく多くの普通の人々を多少騙したり、あるいは、そうした人々から何か秘密でお金を取るようなことをしていたとしても、だんだん、あまり気にならなくなってゆくような傾向があるようなのです。

 この典型的な例が、一昔前に世界中にあった王制や貴族制の弊害であるのですが、残念ながら、そうした王制や貴族制の弊害を除いて、できるだけ大多数の人々の利益や幸福を最大化するために作られた現在のような民主主義制度であっても、実際には、こうした小さく隠れた形で存在している人間集団が、いつの間にか大多数の普通の人々には、あまりよく分からないような形で隠れて暴走してしまうことを、いまだにあまり防げないようなところがあるようなのです。

 

人間集団の縮小や解体には、そこで働く人々や、そのサービスを受ける人々に対する非常に細かな親身の案内やケアが重要であるが、だからと言って、何もせずにそうした人間集団を野放しに放ったらかしにしておくと、そうした事業自体の破綻や国家の財政危機に直面することがあるので、注意が必要である

 ただ根本的な解決策としては、そうした特殊な人間集団が、とんでもない犯罪行為に加担しているなどというような、よほどの特殊なケースでもなければ、私は、そうした人間集団を縮小したり、解散させる際には、「こいつらは、とんでもない奴らだから放っておけ」とばかりに、あまり無責任に仕事を取り上げて、失業させるような状況というのはなるべく避けて、できるだけそうした人々が、それまでの知識や技術や経験をできるだけ活かせるような形で、その時点のその社会において、最も役に立つような新たな目標や新たな課題の解決のための新たな人間集団に、できるだけ早く再び所属し直せるように結構、細かい案内やケアや、さらには、ある程度の生活上の保障をしてゆくことが非常に大切なのではないか(当然、そうした人間集団から何らかのサービスを受けていた人々に対しても、何らかの案内やケアが必要なことになります)というように率直に考えております。

 ただし、もし、こうしたお金ばかり使って、その社会にほとんど何の貢献もしないような不要な人間集団をどんどん残して、増やし続けるようなことをしていると、その結末というのは、その事業自体の破綻のみならず、国家の財政的破綻すら招きかねないような大変な事態に陥ってしまうこともあるので、こうした人間集団の縮小や解体、もしくは別の組織への変更に関しては、できるだけ機敏に柔軟に対処してゆくことが重要なのではないか、というように私は考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年4月3日 9:17 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 社会、文化



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