3、たとえ宗教であっても、単なる人間の集団である以上、時代を隔てるにつれて、神仏の偉大さや功徳や、悪魔や魔王の怖さや邪悪さというのは、どんどん拡大解釈され、誇大表現されるようになっていった
第三には、これも考えてみると非常に不思議なことであるのですが、もし、いろいろな神仏を祭っている宗教から、その最も大切な「神仏」というものをいったん隠して、取り除いてしまったら、一体、何が残るのか、というと、これはもちろん、そうした宗教に関わる人数が多いとか、少ないというのはいろいろあるのですが、それはともかくとして、要は、たくさんの人達が、いろいろな仕事をしたり、あるいは、それによって生活を成り立たせているような、言わば、一種の人間の共同体、つまり、単なる人間の集団に過ぎないということになってくるのです。
たとえ宗教であっても、単なる人間集団として見た場合には、巷の営利企業の運営と、さして変わりないような要素が数多くある
そうすると、そうした目で一つ一つの宗教に関わる人間集団の営みというものを見てみると、これは普通、どの宗教学者も評論家のような人達も、なぜか誰も、あまり指摘しないような内容になってくるのですが、大体、以下のような五つのことが言えるのではないか、ということです。
①現実には、宗教ごとにかなり教えや運営の違いがあるのに、なぜか、どの宗教も、みんな一番であると説明していることが非常に多いので、宗教選びに関しては、かなり慎重な疑う態度が必要である
まず第一には、そのように宗教というものを単なる人間集団として見た場合には、巷の企業と同じように大企業に当たるものや、中小企業に当たるものがあるなどというように、そうした規模の大小があるのですが、ところが、なぜか普通の会社とは全く違って、宗教の場合には、たいてい、どの宗教も、「自分の所の神仏が一番偉い」とか、「自分の所の教祖が一番素晴らしい」などと言っていることが非常に多いのです。
そうすると、これは、はっきり言って、大変申し訳ないのですが、正直言って、そうした宗教の実際の実情を見る限り、どう考えてみても、たくさんある宗教の中のどれかが嘘をついているのではないかとか、もしくは、どの宗教も、かなり誇張された根拠のない誇大宣伝をしているのではないか、ということに関しては、素直に疑ってみた方が賢明である、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年1月17日 9:31 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 社会、文化