2、古代や中世の宗教全盛時代から、近現代の時代に移り変わるうちに神仏と悪魔の立場が大きく様変わりして、実質的に入れ替わってしまうような大きな変化が起きた
第二には、これは現在の地球の歴史においては、もうすでに、ほぼ完全に歴史的な事実として確定しているような事項の一つであるのですが、実は、もし現代の多くの人々が、「古代や中世といった昔の時代は、大変貧しく、不自由で暮らしづらかったが、近現代に入って、みんなものすごく豊かになり、より自由で幸福な生活ができるようになった」と心底考えているとするなら、次のような三つの理由で昔の人々から見るなら、それは、ほぼ完全に悪魔主義者であると断定されるのではないか、ということなのです。
①古代や中世の人々と違って、多くの現代人は、欲望の追求を非常に幸福なことであると考えていることが多い
まず第一には、先ほども少し述べたように古代や中世のような宗教全盛の時代には、たいてい、「欲ばりは地獄に堕ちる」とか、「心の清い人でないと天国には行けない」などとよく言われていたので、そうした観点から見る限り、現代の地球の人々は、ほぼすべて、「とんでもない欲ばりの浪費家だ」とか、「とんでもない心の汚い獣だ」などと言われることになってしまうのですが、ところが現在の大多数の地球の人々は、こうした状況を非常に豊かで幸福であると感じていることが、ほとんどであるということです。
②古代や中世の人々と違って、多くの現代人は、民主主義や自由主義を合理的で、より進んだ素晴らしい制度であると考えていることが多い
第二には、これも先ほど少し述べましたが、古代や中世の宗教全盛の時代には、「身分の高い人には絶対に逆らわず、言うことを聞かないといけない」とか、「戒律や法律を破った人間は、みんな、ことごとく大変な地獄に堕ちる」などと言われていたことが非常に多かったのですが、そうした観点から見ると現在の地球の人々は、「一生懸命勉強したり、努力して、政治家やお金持ちになるのは、とても素晴らしいことだ」とか、「宗教の伝統や戒律なんて気にしていたら、とてもではないが、普通の生活なんて出来やしない」とか、「国王の勝手に法律や税金なんて決められていたら、怖くて仕方がないので、今では、どこの国も市民の選んだ政治家が、多数決で法律を決めるようになってしまった」などということになっているのですが、これに関しても現在の大多数の地球の人々は、たいてい、より自由で合理的な素晴らしい制度になったと感じていることが、ほとんどであるということなのです。
③古代や中世の人々と違って、多くの現代人は、信教の自由や政教分離の原則を、より自由で進んだ素晴らしい制度であると考えていることが多い
それから第三には、これも、よく考えてみると非常に不思議な話であるのですが、古代や中世の宗教全盛の時代においては、「新しいことをするには、とにかく、いちいち偉い宗教家に聞いて、それが良いことか、悪いことか、確かめてみないといけない」とか、「もし新しい宗教や思想を広めようとした場合には、それは即、既存の宗教や政府による厳しい弾圧や迫害を覚悟しなくてはいけない」などというようなことが非常に多かったのですが、それが近現代に入ると状況は、まるで一変して、「政治がおかしくなるから宗教は、いちいち政治に口出しするな」とか、「みんな法律を破ったり、他の人に迷惑をかけたりしない限りは、基本的に何でも自由に行動してよい」とか、「宗教は、いちいち市民の思想や行動に深く関与するな」とか、「基本的に誰でも自由に好きなことを発言してよいし、また自由に好きな宗教や思想を信じてよろしい」などというような時代に移り変わってきたのですが、これに関しても大多数の地球の人々は、やはり、「昔は、ひどい時代だった」とか、「今は、いろいろ自由に考えたり、行動できたりするようになって、本当に良かった」などと感じていることが、ほとんどであるのです。
このように現代の多くの人々の考え方や行動と、古代や中世の宗教全盛時代の多くの人々の考え方や行動というものを比べ直してみると、これは、はっきり言って申し訳ないのですが、そうした古代や中世のような宗教全盛の時代に生きた多くの人々の目から見た場合には、はっきり言って、現代の多くの人々は、もうほとんど全員が全員、とんでもない悪魔主義者に見えるにも関わらず、なぜか、みんな、「昔は、ひどい時代が長く続いたが、今は、とても自由で豊かで幸福な世界になった」と、本当に心の底から信じ込んでいるなどというような、非常にとんでもない世界に映るはずであるということなのです。
宗教全盛の古代や中世の時代から、近現代の時代に移り変わるうちに神仏と悪魔の関係が、根本的に入れ替わってしまうような大変化が起こった
つまり地球の歴史を総観して見た場合、大局的に見ると、古代や中世の宗教全盛時代の人々の目から見ると、はっきり言って、近現代の多くの地球の人々は、「欲望の開放」や「物質的繁栄の追求」や「反宗教主義」などというように一昔前の人々から見ると、ほとんど邪悪な悪魔の化身としか言いようがないような生活をしているということになるのですが、ところが、そうした古代や中世の人々の生活を現代人の目から見ると、嘘と迷信に彩られた遅れた野蛮な世界のようにしか見えないということになってくるので、私は、こうした観点から見る限り、率直に言って、もし地球の人類が近現代の時代になって、より豊かで自由で幸福な社会を築けるようになった、と多くの人々が言うのであれば、それは、そうした古代や中世の宗教全盛時代における神仏の力ではなくて、どちらかと言うと悪魔の力になってしまうのではないか、というように率直に感じているのです。
そうした観点から見ると、これは現在でも地球人類の信念や思い込みが非常に強いために、そう簡単には、なかなか受け入れがたい考え方であるということは、私も本当によく理解できるのですが、それにも関わらず、もし古代や中世、そして近現代に至るまで、多くの人々が、ほぼ同じような神仏を信じ続けてきたと主張するなら、私は率直に言って、それなら、その神仏や悪魔の考え方や行動が、近現代に入って、大きく様変わりしたか、もしくは、近現代に入って、そうした神仏や悪魔の立場が、どこかの時点で、ほぼ完全に入れ替わったかのどちらかのことが、絶対起きたはずだ、というように率直に考えるのですが、とにもかくにも、そうした神仏と悪魔の立場の変化や交代によって、近現代の多くの人々は、昔の時代に比べて、自分達は非常に幸せになったと感じているのは、まぎれもない事実であるということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年1月16日 9:35 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 政治 / 歴史 / 社会、文化